Interview Feature / 合格者インタビュー

普天間高校から専修大へ

毎日泣きながら総合型選抜に挑んだ沖縄の高校生

普天間基地のすぐ隣に位置する高校で、授業中にオスプレイの轟音が響く環境の中、3年間を過ごした田里綾望さん。高3の4月、友人との会話をきっかけに総合型選抜を初めて知り、上智大学経済学部に挑戦。毎日泣きながらも100日間机に向かい続けたが、結果は不合格。それでも諦めず一般入試にスイッチし、専修大学経営学部への合格を掴んだ。情報格差が大きい地方で、周囲に経験者もほとんどいない中、どう戦略を組み立て、失敗から何を学んだのか。沖縄から東京の大学を目指す高校生へ、彼女のリアルな体験を届ける。

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普天間高校から専修大へ
出身高校
普天間高等学校
合格先
専修大学 経営学部
入試方式
総合型選抜
準備期間
高校3年4月

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Contents

この記事でわかること

リアルなストーリー

普天間高校から総合型選抜(上智大学)に挑戦し、専修大学経営学部に一般合格するまでの全ストーリー

探究活動の作り方

バスケ部マネージャー・学校行事リーダーという活動実績を総合型選抜でどう活かすか

志望理由書の秘訣

情報格差がある中で自己推薦書と面接を独力で仕上げた具体的プロセス

受験戦略と面接対策

総合型選抜と一般入試を時期で分けて両立する受験戦略のリアル

こんな人におすすめ

  • 総合型選抜と一般入試を同時に考えている高校生
  • 地方出身で受験情報が少なく悩んでいる高校生・保護者
  • 部活や学校行事の活動実績を総合型選抜に活かしたい人
  • 自己推薦書の書き方や面接対策の具体的な方法を知りたい受験生

Key Points

今回の合格を支えたポイント

01

Point 01

評定平均4.6という積み上げが選択肢を広げた

高校1年から地道に維持した評定平均が、総合型選抜の出願資格という「武器」を生んだ。

02

Point 02

「誰かのために」という一貫した軸が自己推薦書を支えた

バスケ部マネージャーや学校行事のリーダー経験から育まれた価値観が、自己推薦書の核となった。

03

Point 03

時期で完全に切り替える戦略が両立を可能にした

9月まで一般入試、10月から総合型選抜と対策を分けることで、どちらも中途半端にならない受験設計を実現した。

Profile

合格者プロフィール

田里 綾望
「沖縄の情報格差」

田里 綾望

たさと あやみ

出身高校
普天間高等学校
合格大学・学部
専修大学 経営学部
入試方式
総合型選抜
第一志望
智大学経済学部
英語資格
英検2級
最終評定平均
4.6
部活
バスケ部マネージャー
準備期間
高校3年4月
併願戦略
総合型選抜+一般入試
バスケ部マネージャー3年間 体育祭&文化祭で3年間クラスの中心的役割
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Story

合格者のストーリー

沖縄・普天間基地の隣で育った高校生が「東京の大学」を目指した理由

沖縄県宜野湾市は、青い海と赤い屋根が続く穏やかな街だが、その空には別の音が常に響いている。普天間基地のオスプレイだ。田里綾望さんが通った普天間高等学校は、その基地のすぐ隣に位置している。毎朝、通学路を歩いていると、マイクを持ったおじいちゃんやおばあちゃんたちがデモ活動を行っている。警察も毎日立っている。それが田里さんにとって、何一つ疑わない「当たり前の日常」だった。

「友達と『やばいよね』っていう話はするんですけど、なんかそれが当たり前になってるような感じがあって」と田里さんは振り返る。基地の問題を「やばい」と思いながらも、深刻に構えすぎることなく日常として受け入れている、沖縄の高校生ならではの感覚がそこにある。クラス会はビーチで開かれ、海を眺めながら友達と話した中学時代の記憶も、田里さんの青春の一部だ。

そんな田里さんが東京の大学を意識するようになったのは、担任の先生の言葉がきっかけだった。東京の大学を出身とする担任は、こう語りかけた。「東京は本当になんかいっぱいあるから、行った方がいいよ」。その一言が、田里さんの進路選択をがらりと変えた。「いい大学に行きたいっていうよりは、東京に行きたいっていう気持ちになった」と田里さんは言う。九州など他の地域ではなく、受験校はすべて関東に絞ることを決断した。

普天間高校は偏差値55程度の公立高校だが、東京の大学に進学する生徒が毎年10人以上いる。早稲田・東洋・駒澤などに合格した先輩たちがいる。「絶対無理」ではない、という感覚が田里さんにはあった。家族も総合型選抜については「本当に全然わからない感じ」だったが、母は「頑張れ!」と声をかけ続け、無口な父は塾への迎えやお菓子の差し入れで黙ってサポートしてくれた。3人兄弟の長女として、周りの誰も歩いていない道を、田里さんは自分で切り拓いていくことになる。

「窓を閉めても先生がしゃべれない」―普天間基地の隣での高校3年間

普天間高校の日常は、外の人には想像しにくいものがある。授業中にオスプレイが飛来すると、先生は話すのをやめて黙って待つしかない。「窓閉めてても、先生がしゃべれないぐらい」の音量だ。隣の中学にはオスプレイの部品が落下したことすらある。高校入試のときには「静かにしてください」と基地へお願いする対応もあったと田里さんは話す。

それでも沖縄で育った田里さんたちにとって、これは日常の一コマだ。そのたくましい「普通の感覚」が、田里さんの精神的な土台になっている。どんな環境にあっても前向きに、やれることをやる。その姿勢は、後に訪れる過酷な受験期にも生き続けることになる。

バスケ部マネージャー3年間と学校行事リーダーが育てた「誰かのために」という軸

田里さんはもともと、中学時代はバスケットボール部のプレイヤーだった。しかし高校に上がり、自分のプレースタイルを振り返ったとき、あることに気づいた。「自分が得点するっていうよりかは、周りの空いているところを見つけてパスしたり、視野が広く、いろいろ声かけをしていた」。得点を取る選手というより、チームを動かす司令塔タイプ。であれば、コートの外からチームを見渡し、支える側に回る方が、自分らしい貢献ができるのではないかと考えた。

こうして高校1年からバスケットボール部のマネージャーへと転身した。3年間、プレイヤーたちをサポートし、チームの状態を外から把握し続けた。「外から見て、チームを支えられるような」役割がしっくりきたと田里さんは言う。プレイヤーとしての華やかさよりも、縁の下の力持ちとして機能することに満足感を覚えた。診断でも「リーダータイプ」という結果が出て、「あ、やっぱりそうなんだ」と納得した。

学校行事でも、田里さんは常に中心にいた。体育祭・文化祭において、高校1年から3年まで一貫してクラスをまとめる役割を担い続けた。自然と周りをまとめていく力、声をかけることの大切さ、みんなが動けるように環境を整えること。これらは意識的に磨いたスキルというより、田里さんの性格から自然に滲み出てきたものだった。家でも「自分1人がしゃべって、兄弟も親もみんなああ、はいはいって感じ」というほどのコミュニケーター体質だ。

この「誰かのために頑張りたい」という根底の価値観は、後に上智大学を志望校に選ぶ理由にもつながっていく。上智大学の理念である「みんなのために」という言葉を知ったとき、田里さんは「あ、これだ」と感じた。自分がずっと大切にしてきた考え方と、大学の理念が重なったのだ。活動実績や成績だけでなく、自分の価値観と大学の方向性が一致しているという感覚。それが、総合型選抜への挑戦を後押しする大きな理由になった。

高校3年4月、友達の一言で広がった「総合型選抜」という新しい選択肢

高校3年生の春、田里さんの進路計画はシンプルだった。一般入試に向けて勉強する。それだけだった。総合型選抜という入試制度があることは知っていたが、「自分には関係ない」と思っていた。家族も、「大学受験といえば一般入試」という認識だった。

転機は友達との何気ない会話だった。「推薦をするんだったら、した方が良くない?」という一言。そこで初めて真剣に調べてみると、上智大学経済学部の総合型選抜が求める出願条件を自分がクリアしていることがわかった。全体の評定平均4.0以上、数学の評定平均4.5以上。田里さんの評定平均は4.6。数学も基準を超えていた。「たまたま満たせたから出してみようかな」という、あくまで軽い気持ちの始まりだった。

上智大学経済学部を選んだのには、もう一つ理由があった。「いろんな人と関わりたい」という田里さんの根底の欲求と、上智が持つ「国際色豊か」な環境が重なったからだ。「いろんな国際交流とかができる環境」「日本だけじゃなくて、世界の人と関わってみたい」という田里さんの志望と、大学の強みがマッチしていた。経済学部の教授や授業内容を調べるうちに、ここで学びたいという気持ちが本物になっていった。

しかし「たまたま条件が合った」「選択肢を増やすため」という動機のまま本番を迎えることは、田里さんにとって後に最大の後悔になる。「推薦と一般じゃダメで、もう絶対一般も挑戦したかった」という覚悟があった一方で、総合型選抜への準備が明らかに不足していたことへの反省は、受験を終えた今も田里さんの中に残っている。しかしそれもまた、等身大の高校3年生がたどった正直なプロセスだ。

「毎日泣いてました」―正解が見えない中での自己推薦書と面接対策100日間

高校3年の10月、田里さんは総合型選抜対策に本格的に集中し始めた。しかし最初の壁は、「何を対策すればいいか、全然分からない」という状態そのものだった。周囲に総合型選抜を受けた経験を持つ人間がほとんどいない。友達でも受ける人はほんのちらほら。塾は一般入試対策のための東進に通っていたが、総合型選抜の自己推薦書や面接に特化した指導は受けられなかった。

「正解がわからない」というのが、田里さんを最も苦しめた感覚だった。一般入試ならば、過去問を解いて点数を見れば手応えがある程度つかめる。しかし総合型選抜の面接や自己推薦書は、どこまでやれば十分なのかが見えない。TwitterやTikTok、YouTubeで受験情報を調べてみたが、「いっぱいありすぎてわからなくなってました」というのが正直なところだった。

そのような中で田里さんが頼ったのは、友達のお姉ちゃんと上智大学の先輩だった。総合型選抜の自己推薦書を実際に書いて合格した経験を持つお姉ちゃんに添削を頼み、上智に在籍する先輩からは大学の雰囲気や面接で聞かれることのヒントを教えてもらった。「単なる綺麗事で終わらせたくない」という思いで書いた1,300字の自己推薦書は、ChatGPTも使いながら言い換えを検討し、自分の言葉で自分の価値観を表現することに徹した。

面接の直前期、11月に入ってから、田里さんの精神的なプレッシャーは最高潮に達した。課題図書である経済系の本を朝5ページずつ読み、単語帳を作り、隙間時間も読み込み続けた。しかし練習で「ちゃんと言えてなかったから」「これって大丈夫なのかな?」「どうしようみたいな感じ」という不安が消えなかった。「毎日泣いてました」と田里さんは言う。それでも、「逃げてる自分も嫌だったので、つらいときとかもやるしかない」という覚悟で、泣きながらも机に向かい続けた。

この100日間は、田里さんにとって人生で最も苦しい時期のひとつだ。しかしその経験は、「泣きながらでも続けられる」という自分自身の強さを証明する時間でもあった

1ヶ月で1,300字の自己推薦書を書き上げるまでの格闘

自己推薦書の形式は、A4用紙1枚に収まる範囲で自由記述、文字数は1,300字程度、パソコンで作成可能というものだった。田里さんが意識したのは、「大学と自分がどうマッチしているか」「大学に行って何をしたいか」「その後どうなりたいか」という三つの軸を、自分の言葉で表現することだった。

上智大学の理念「みんなのために」と、「誰かのために頑張りたい」という自分の価値観の一致。バスケ部マネージャーとして支え続けた3年間の経験。学校行事で1年から3年まで周囲をまとめてきたリーダーとしての実績。これらを綺麗に並べるのではなく、「なぜ自分はそう動いてきたのか」という内面の動機から書き起こすことで、薄っぺらにならない内容を目指した。

ChatGPTは「言い換えを検討する」ために活用した。表現の選択肢を広げるツールとして使い、最終的な言葉は自分で選び直した。添削は友達のお姉ちゃんと上智の先輩に依頼し、外から見て違和感がないかを確認してもらった。1ヶ月という短い期間ながら、「自分の思っていることをどう文字にできるか」という問いに真剣に向き合った自己推薦書が完成した。

上智不合格―それでも専修大学経営学部に合格した受験戦略の全貌

11月、上智大学経済学部の総合型選抜の試験が行われた。内容は数学テストと面接の2本立てだ。数学には自信があった田里さんは、テスト自体にはある程度の手応えを感じていた。面接も、終わった後に「いけたかもって思ってたかというと、そんな感じでした」と語るように、完全に手応えがなかったわけではない。

しかし届いたのは不合格の通知だった。「もっと対策したかった」。特に面接についての反省は深い。練習量が足りず、想定外の質問に対して十分に自分の言葉で答えられなかった実感があった。総合型選抜を初めて受けた田里さんにとって、これは正直な敗因の分析だった。その後、一般入試でも上智大学を受験したが、こちらも合格には至らなかった。

それでも田里さんは崩れなかった。「逃げてる自分も嫌だったので、つらいときとかもやるしかない」という気持ちで、一般入試へと完全に気持ちを切り替えた。立教大学、日本大学、そして専修大学経営学部を受験し、専修大学から合格通知が届いた。手探りだらけの受験期間を経て、東京の大学への扉が開いた瞬間だった。

振り返ると、田里さんの受験戦略を支えたのは「時期で完全に切り替える」という明快な設計だった。一般入試と総合型選抜の両方を同時並行で進めようとすると、どちらも中途半端になりがちだ。田里さんはそこを「めちゃめちゃ悩んでた」と認めつつも、結論として夏休みから9月まで一般集中・10月から総合型集中という形を選んだ。その切り替えを守り抜いたことが、最終的な合格につながった。

9月まで一般、10月から総合型―時期で完全に分けたスケジュール管理

田里さんの一般入試対策の主軸はスタディサプリだった。夏休みから9月いっぱいまで、ほぼ毎日取り組んだ。塾は東進を使っていたが、スタディサプリで科目ごとに動画を見て理解を深め、問題演習を積む形が田里さんのスタイルだった。偏差値61という模試の結果は、この地道な積み上げの成果だ。

10月に入ると、そのスイッチをまるごと総合型選抜対策に切り替えた。「推薦入試が11月だったんですけど、その1か月前からは、絶対もう推薦の準備したい」という判断だ。この時期の集中度は高く、自己推薦書・課題図書・面接対策をひたすら進めた。時期を分けたことで、一般入試対策が途切れる心配も最小化できた。「最初から総合型選抜だけに絞っていなくて本当によかった」という感覚が、合格後に田里さんの中にあった。

専修大学合格を引き寄せた3つの要因と、塾なし挑戦者が語る正直な反省

田里さんが専修大学経営学部の一般入試で合格を掴んだ背景には、明確な要因がある。まず、高校1年から3年まで維持し続けた評定平均4.6という数字だ。「めっちゃではないけど、そこそこまあやるときはやる」という言葉通り、爆発的な努力ではなく、コンスタントな積み上げで作り上げてきた成績だ。これが総合型選抜の出願資格を生み出し、同時に一般入試での学力の土台にもなった。

次に、バスケ部マネージャーとしての3年間と、学校行事での継続的なリーダーシップ経験だ。自己推薦書を書く際、田里さんには「書けること」がちゃんとあった。支えること・まとめること・声をかけ続けること。これらは、ペーパーテストでは測れない力として、自己推薦書の核を形成した。「誰かのために頑張りたい」という一貫した価値観があったからこそ、表面的な文章ではなく自分の言葉で書ける内容になった。

そして三つ目は、「逃げてる自分が嫌だった」という継続力だ。毎日泣いた11月も、上智が不合格になった後も、田里さんは机を離れなかった。「泣きながらでも全然机に向かって勉強してました」という言葉に、この受験期の本質が詰まっている。

一方で、田里さんが今だから語れる正直な反省もある。「塾って必要だと思います」という言葉がそれだ。総合型選抜を経験した人が周囲にほとんどおらず、何を対策すればいいかわからないまま1ヶ月で本番を迎えた。「面接とかもがっつり対策してくれるところがあったら」という後悔は、総合型選抜に挑戦する高校生全員に刺さるメッセージだ。専門家との「壁打ち」があるかないかで、準備の質と自信の量は大きく変わる。田里さんの体験は、その差をリアルに証明している。

沖縄から東京へ旅立つ田里さんが、これから挑戦する後輩たちに伝えたいこと

専修大学経営学部への合格が決まった後、田里さんは引っ越しの準備を進めながら、渋谷の美容院で髪をピンクにブリーチした。「高校では絶対できなかったこと」が、東京という新しい場所では当たり前にできる。普天間基地の騒音が聞こえる街から、渋谷の街へ。田里さんの新しい章が始まった。

沖縄で受験勉強をした田里さんだからこそ伝えられることがある。地方にいると、受験情報が圧倒的に少ない。塾も充実していない。経験者が周囲にいない。「いっぱいありすぎてわからなくなる」情報の波と、「正解がわからない」不安の中で、それでも動くしかない。「高校1年生からがっつり勉強しなきゃなって思ってました」という言葉は、田里さんの受験を終えた今だからこそ出てくる言葉だ。実績も、情報も、できることなら早く積み上げた方がいい。

「やりたいって思ったことを行動に移して、どんどんいろんなことに挑戦したい」というのが田里さんの今のテーマだ。高校時代にやりたかったボランティアも留学も、大学生になった今ならできる。「世界中旅してみたい」「日本だけじゃなくて、世界の人と関わってみたい」という夢も、東京という場所からなら距離が縮まる気がしている。

田里さんの体験が証明しているのは、最初から完璧な計画がなくてもいいということだ。「たまたま条件が合ったから」でも、「選択肢を増やすために」でもいい。動いてみれば見えてくるものがある。泣きながらでも机に向かい続けた日々が、必ず次の扉を開く力になる。沖縄の高校生にも、地方の高校生にも、「正解がわからない」まま走り続けた田里さんの100日間は、きっと届く言葉があるはずだ。

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Story Timeline

原体験から合格までの軌跡

原点となる体験

中学から高校進学時期

支える喜びへの転身

小中学校ではバスケ選手でしたが、プレー中に「得点より周りを見てパスする」ことに喜びを感じました。この気づきから高校でマネジャーへ転身。外からチームを支える方が自分に合っていると判断しました。1

最大の転機

高3年の4月

総合型選抜への挑戦決定

友達との会話で推薦入試の価値を知り、条件を満たしていることに気づき、出願を決断。高1からの学習実績と評定平均が条件を満たしていたため、直前の決定でも出願に至りました。1

実績のピーク

高3年11月(推薦入試時期)

専修大学への合格決定

自己推薦書に1ヶ月かけて完成させ、書類審査に合格。その後の面接・数学テストを経て、専修大学経営学部への合格を果たしました。最終的に東京での新生活をスタートさせます。

実績のピーク

高3年11月(推薦入試時期)

専修大学への合格決定

自己推薦書に1ヶ月かけて完成させ、書類審査に合格。その後の面接・数学テストを経て、専修大学経営学部への合格を果たしました。最終的に東京での新生活をスタートさせます。

合格

2026年4月

専修大学経営学部へ進学

沖縄から東京への進学が決定。大学ではサークルやボランティア、留学などに挑戦し、様々な人との関わりを大切にしながら、世界中を旅して学びたいという目標を掲げています。1

Message

塾長からのメッセージ

上林山 大吉

上林山 大吉

慶教ゼミナール 塾長

京都大学経済学部に総合型選抜で合格。自身の経験をもとに、受験生一人ひとりの「言葉」を磨くサポートを行っています。

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