Story
合格者のストーリー
「このまま私は中卒になってしまう」


永冨礼さんは、カナダ留学中に都立国際高校に退学届を提出した日のことを、こう振り返る。1年予定だった留学を延長するための退学。しかしカナダの高校を卒業できる保証もなく、日本の大学に合格できる保証もない。それでも永冨さんは、カナダで卒業することを選んだ。
中学時代に3年間続けた校則改正運動、5歳から続けたレスリングで全国3位、高校1年で出会ったカバディで日本代表候補、カナダ留学2年目でレスリングカナダチャンピオン――一見華やかな実績の裏には、12歳で心を病んだ校則闘争、留学初期の言語の壁、そして上智大学不合格という挫折があった。永冨さんが最終的に掴んだのは、慶應義塾大学総合政策学部のGIGA(Global Information and Governance Academic)プログラム入試、いわゆる冬AOでの合格だった。
GIGA入試は海外在住者向けの英語完結型入試で、出願に必要なのは800ワードの英語エッセイ、2ページの自己推薦書、3分の自己PR動画、4つのオプションプレゼン資料。永冨さんはこれらを10か月かけて、塾を一切使わず、カナダ人の現地高校教師の添削と先輩からのアドバイスのみで仕上げた。本記事では、永冨さんが都立国際退学から慶應SFC合格までを駆け抜けた2年間の全戦略を、本人の言葉とともに公開する。海外在住・留学中で日本の大学を目指す高校生・保護者は必読の内容だ。
都立国際高校に入学するまで|中学時代の校則闘争と原体験


永冨礼さんは5歳からレスリングを始めた。同時にピアノと歌も習い、ボーイスカウトやダンス、書道など複数の習い事を並行していた時期もある。すべて自分から「やりたい」と母に伝えて始めたものだった。父はアメリカで高校・大学を卒業した体育教師、母は英語教師。教員家庭でありながら強制ではなく、本人の自発性を尊重する家庭環境のなかで、永冨さんの「自分で選び、自分で動く」という行動原理が形作られていった。
中学校はレスリングを続けながら通った。レスリングの腕前は中学時代に全国3位という結果を残すほど磨かれていた。だが学校生活そのものは順風満帆ではなかった。永冨さんが通っていた中学校は校則が厳しく、特に「冬のタイツ着用禁止」というルールが彼女の感性に強く引っかかった。寒さで体が冷えるなか、なぜタイツを履いてはいけないのか。理由を尋ねても返ってくるのは「ルールだから」という回答だけだった。
3年間の校則改正運動が「声を上げる」原点になった
「ルールだから」という回答に、永冨さんは納得しなかった。生徒会活動を通じて学校との交渉を始める。一度や二度では動かない。何度も提案し、退けられ、それでも諦めず提案する日々が続いた。途中で永冨さん自身は心身に大きな負荷を抱えるようになった。声が出にくくなる時期があり、教職員室の前で呼吸が浅くなる症状も現れた。「12歳で心を病んでしまって、声が出なくなる」――本人がそう振り返るほど、学校との交渉は彼女の身体に刻まれた。
それでも永冨さんは引かなかった。生徒会の枠を超え、保護者を巻き込んで署名活動を行い、地域の議員にも働きかけた。卒業の2か月前、ようやくタイツ着用が認められる。3年間続けた校則改正運動が、ついに実を結んだ瞬間だった。「個人の行動が組織を変えられる」という確信は、この成功体験から生まれた。同時に「疑問を持ち続けることの重要性」も、永冨さんの行動原理として刻まれた。中学卒業時、彼女は校則のない自由な高校環境を求めるようになっていた。
自由を求めた都立国際高校とカバディとの出会い
都立国際高校は校則がほぼ存在しない、多国籍な高校だ。海外経験者が多く、英語の授業が充実し、個性的な学生が受け入れられる土壌がある。永冨さんは推薦入試で都立国際に合格し、入学初日から自分の自由を試した。髪を染め、ランドセルで通学した。妹のランドセルも借りて日替わりで使うほどの徹底ぶりだったが、都立国際の環境はそれを自然に受け入れてくれた。
入学後、永冨さんは一度レスリングを離れる決断をする。中学までずっと続けてきた競技だったが、新しい環境では新しい挑戦をしたかった。代わりに始めたのがカバディだった。カバディはインドの国技で、レスリングと鬼ごっこを融合させたような独特のスポーツ。永冨さんは妹が好きだった漫画をきっかけにカバディに出会い、体験会に参加した。レスリングで培った接近戦の感覚が、カバディの競技特性とよく合った。短期間で実力を伸ばし、日本代表候補にまで選出された。
中学時代に培ったレスリングの基礎が、新しい競技で開花する経験は永冨さんに重要な学びをもたらした。「既存のスキルを別の領域で活かす」という発想が、後の留学生活でも、慶應SFCの志望理由書でも、繰り返し効いてくる視点になっていく。
同じ時期、永冨さんは東京都の留学プログラムに応募し合格した。1年間の事前研修を受け、毎月レポートを提出し、最終的に長い論文を作成する厳格なプログラム。永冨さんはこの準備期間を通じて、留学生活で何を学びたいのか、何を持ち帰りたいのかを言語化する訓練を積んだ。中学時代から心の中にあった「もっといろんな世界を見たい」という気持ちが、ようやく具体的な計画に落ちていった。
カナダ留学と高校退学の決断



留学先は、カナダのバンクーバーから車で1時間、フェリーで2時間の島だった。一番近いスーパーまで徒歩1時間。娯楽施設は乏しく、夜になれば外は暗闇に包まれる。ホストファミリーはカナダ人の両親と子供3人の5人家族で、温かい家庭ではあったが、永冨さん自身が新環境に馴染むには時間がかかった。
最初の壁は言語だった。永冨さんは中学・高校で英語を熱心に学び、自分の英語力には一定の自信があった。しかしカナダの島の現地英語は、教科書の英語とは別物だった。「最初の3か月は何を言ってるのかも何もわからなかった」。挨拶すら噛み合わず、買い物に行っても何を尋ねられているのかわからない。教室で何が議論されているのか聞き取れない。永冨さんが日本で積み上げてきた英語の自信が、現地で粉々に砕ける時期だった。
転機は留学2か月後に訪れた。ホストファミリーの娘がレスリングをしていることが判明したのだ。永冨さんは中学で全国3位の実績を持つレスラーだった。地域のレスリングチームに加わり、週3〜4回の練習に参加する。土日はバンクーバーへ試合に行く生活が始まった。練習で汗を流し、技術を共有し、小さい子供たちのコーチング補助も担当する。スポーツを介した非言語コミュニケーションが、永冨さんの英語力と人間関係を急速に広げた。中学から続けてきたレスリングが、まさかカナダの離島で命綱になるとは想像もしていなかった。
留学生活が軌道に乗るにつれ、永冨さんの中で大きな決断が育っていった。1年で帰国するのではなく、カナダで高校を卒業したい。レスリングチームでの活動を完結させたい。何より「もっといろんな世界を見たい」という当初の気持ちが、まだ満たされていなかった。
「中卒になるかも」を覚悟した退学届
留学延長には、都立国際高校に退学届を出す必要があった。日本の大学に入れなければ、永冨さんは中卒になる。これは決して軽いリスクではない。「このまま私は中卒になってしまうという危機があった」と本人が振り返る通り、彼女自身もこの選択の重みは十分に理解していた。
親との話し合いを重ねた。父はアメリカで高校・大学を卒業した経験から、海外で学位を取ることへの理解があった。母は英語教師。家族の中で唯一の心配は「大学のめどを立ててから」というラインだった。永冨さんはカナダでの生活の充実ぶりを家族に伝え続けた。レスリング、地域コミュニティへの溶け込み、英語力の成長。家族は最終的に、彼女の判断を支える方向に動いた。2年目は自費留学となり、家族の経済的サポートを受けることになる。
「どうしてもここで卒業したいという思いがあった」。永冨さんは退学届を提出した。中卒のリスクを抱えながらも、自分の意志でカナダ卒業を選んだ高校生は、そう多くない。ここから永冨さんの本格的な大学受験準備が始まる。
慶應SFC GIGA入試を選んだ理由と出願戦略


永冨さんが慶應SFCを志望するきっかけは、実は中学時代に遡る。当時好きだった歌手が「SFCにAO入試で入った」というエピソードを知り、SFCを「夢みたいな大学」として記憶に刻んだ。具体的な受験方法は知らなかったが、慶應SFCという名前は彼女の中で長く生き続けていた。
カナダ留学中に大学受験を意識し始めたとき、永冨さんが直面した条件はかなり限定的だった。帰国子女入試は3年以上の海外経験が条件で、永冨さんの2年では届かない。カナダの大学に進学する選択肢もあり、レスリング推薦の声もかかったが、競技を続ける意思は強くなかった。一般入試で日本に帰国して受験する選択肢は時間的に厳しい。「海外から日本に帰国せずに受験できる大学がSFCか上智しかなかった」――永冨さんは志望大学を絞り込んだ。
そこで知ったのが、慶應SFCのGIGA入試だった。GIGAは「Global Information and Governance Academic」プログラムの略で、海外在住者向け、全授業を英語で受けることが可能、出願も英語で完結する特殊な入試方式だ。永冨さんの留学経験と語学力を最大限活用できる方式だった。中学時代から憧れていたSFCに、自分の今いる環境のまま挑戦できる――この発見が彼女の受験戦略を確定させた。
800ワードのエッセイと3分のPR動画に詰めた研究テーマ
GIGA入試の出願書類は、800ワードの英語エッセイ、2ページの自己推薦書、3分間の自己PR動画、そしてオプショナルなプレゼン資料4つで構成される。永冨さんはこれらすべてを準備した。研究テーマに据えたのは「スポーツを通じた貧困脱却」だった。
このテーマの着想源は、彼女自身がカバディに取り組んでいたことだった。インドではカバディが国技として大きな経済効果を生んでいる。地域に根ざしたスポーツが、貧困解決のレバレッジになり得るのではないか。レスリングで培った身体性、カバディで触れたインド文化、留学で得た国際的視野――永冨さんが持つ要素を一本の研究計画に編み込んだ。
エッセイは英語800ワード。永冨さんは現地高校の教師(カナダ人で日本の受験制度に詳しい先生)に何度も添削を依頼した。表現の精度、論理の流れ、結論の力強さ。書き直しを重ねるたびに、自分の研究テーマと志望動機が洗練されていった。3分間の自己PR動画には、レスリングの実際の練習映像と試合映像を素材として使用し、編集も自分で行った。3分という制約のなかに、出願者としての全人格と研究計画を詰め込む作業は、永冨さんを書類作成のプロに変えていった。
10か月の出願準備と上智不合格・慶應SFC合格
出願書類の準備は高校3年時の10か月間に及んだ。永冨さんは塾を利用しなかった。カナダの離島でアクセスできる対面の塾はなく、通信制の選択肢もあったが活用しなかった。代わりに、現地高校教師、留学先の知り合いの知り合いまで含めた人脈、家族、そして自分自身のリサーチ力で書類を仕上げていった。
「塾があったらよかった、もっといいものが作れた」と永冨さんは後に振り返る。書類の磨き込み、情報収集、戦略の妥当性チェック――伴走者がいれば短縮できた工程は確かにあった。「機会に恵まれていないと孤独な戦いになる」という言葉は、海外でひとり書類と格闘した彼女の実感だ。それでも永冨さんは諦めなかった。先輩からのアドバイス、家族のサポート、現地教師の添削――入手可能なリソースを最大限活用し、書類は最終的に最終形に近づいていった。
併願戦略では上智大学にも出願した。英語で授業が受けられる学部を狙い、留学経験を活かす方針だった。しかし結果は不合格。原因はSAT(アメリカの共通テスト)の点数不足だった。基礎学力試験への対策が手薄だったことが響いた。
「このまま中卒になる」最大の不安と合格通知
上智大学の不合格通知が届いた時、永冨さんは深い不安に襲われた。SFCの合格発表はまだ先。もしSFCも落ちれば、本当に中卒のリスクが現実になる。退学届を出したあの日の覚悟が、改めて重みを増して彼女に迫った。「このまま私は中卒になってしまう」――数週間、永冨さんはこの不安を抱えながら過ごした。
慶應SFCの合格発表日、永冨さんはカナダの自室でPCの画面を開いた。アクセスし、結果を確認する。合格。一瞬、画面の文字を二度三度読み直した。中学時代に憧れた「夢みたいな大学」、カナダで2年間の留学を完結させた先にある進路、そして10か月かけて磨き上げた書類が、ようやく報われた瞬間だった。中卒のリスクから慶應SFC合格まで、永冨さんは自分の意志と行動だけで道を切り開いた。
慶應SFCに評価された一貫性と独自性
慶應SFCのGIGA入試で永冨さんが評価された要素は、彼女のすべての経験が一本のストーリーに繋がっていたことだった。
活動面では、レスリング(5歳から継続、中学全国3位、カナダチャンピオン)、カバディ(高校1年から、日本代表候補)、中学時代の校則改正運動、カナダでの地域コミュニティ参加・コーチング補助。多様な活動だが、いずれも「自分が信じたテーマに長く取り組み、結果を出してきた」という共通項がある。思考面では、「ルールだから」に納得せず3年間校則改正に取り組んだ問題発見能力、スポーツと貧困解決を結びつけた研究テーマの独自性、仮説と検証を重ねる論理的思考。人物面では、高校退学を覚悟してでもカナダで卒業を選んだ挑戦精神、言語の壁を乗り越えた適応力、生徒会から議員まで巻き込むリーダーシップが揃っていた。
自分の経験を一本のストーリーに編んだ志望理由書
特筆すべきは、これらすべてが矛盾なく一本のストーリーに編まれていたことだ。中学時代の校則闘争 → 「疑問を持ち続ける姿勢」の確立 → 自由を求めた都立国際高校 → カバディとの出会いと多様性への関心 → カナダ留学と異文化適応 → スポーツと社会課題の関係性発見 → 「スポーツを通じた貧困脱却」という研究テーマ → 慶應SFC GIGAプログラムでの研究希望。出発点と到達点が、一人の人間の中で連続している。
GIGA入試の評価者から見れば、これは強力な物証だった。永冨さんは入学後も自分のテーマを掘り下げ続ける学生だと判断する材料が、英語エッセイ、自己推薦書、PR動画の隅々から立ち上がっていた。SAT点数不足で上智に届かなかった事実は、SFCの評価軸では大きな問題にはならなかった。SFCが見ていたのは点数ではなく、「自分にしかできないこと」を持つ受験生だったのだ。
受験生・保護者へのメッセージ|「自分にしかできないこと」を出せ
永冨礼さんは現在、慶應SFC総合政策学部の2年生として在学中だ。体育会レスリング部で競技を続けながら、アスリート向けキャリア教育の学生団体を立ち上げた。メンバーは7人、SFC生・他大学生・レスリング部の先輩で構成される。対象は本格的にスポーツに取り組む中高生アスリート。自己分析ワークショップを通じて、部活動での役割を言語化し、競技で培った強みを将来のキャリアに繋げる支援をしている。
「スポーツしかないからではなく、スポーツを通してこんなことができるから」――永冨さんが学生団体を運営する原動力は、自分自身がアスリートとして抱えてきた問題意識から来ている。アスリートが競技だけで生計を立てられる人はごく一握り。多くの選手が引退後のキャリアに悩む。永冨さんは自分の経験を活かして、後進のアスリートが多面的に成長できる場を作っている。
そんな永冨さんが、いま総合型選抜に挑む後輩たちに伝えたいメッセージは何か。
「AIができることではなく、自分にしかできないことを」
「一番大事なことは、いかに自分の色を出せるか」。永冨さんは何度もこの言葉を繰り返した。総合型選抜の本質は個性の発揮にある。難しい文章や整った言葉はAIで書ける。しかし「その人が個性的で、その人にしかないものを持っているか」は、AIには真似できない。だから「自分の言葉で、自分の経験を使って書類を作る」ことが何より重要だと永冨さんは語る。
「AIができることではなく、自分にしかできないことを」――この一言は、生成AIが急速に普及する時代だからこそ重みを持つ。総合型選抜で大学が見たいのは、テンプレートに沿った優等生ではない。自分の経験と問題意識を、自分の言葉で語れる人間だ。永冨さんがレスリング、カバディ、校則改正運動、カナダ留学という独自の組み合わせで合格できたのは、まさにこの原則を体現したからだった。
そして永冨さんは、総合型選抜に挑む高校生自身を励ます言葉も忘れない。「これまでたくさんのことを頑張ってきた自分を誇らしく思ってほしい」「総合型を受けるのはものすごく勇気のいること」「18年間いろんな経験をした方しか受験できない入試方法」。総合型選抜は、過去の自分を全部材料にして未来を作る入試だ。だからこそ、いま挑戦している自分の歩みそのものを、誇って前に進んでほしい。
最後に、塾やサポートについて。永冨さんは塾を使わずに合格を掴んだが、「あったらよかった、もっといいものが作れた」と振り返る。「みんなが同じサポートを受けられるために塾があると安心」「機会に恵まれていないと孤独な戦いになる」。書類のクオリティを上げる伴走者がいれば、戦略の精度は確実に上がる。一人で抱え込まず、適切なサポートを得ながら自分の物語を磨き上げる。それが永冨さんが10か月の孤独な戦いから掴み取った、後輩への最大の贈り物だ。
