Story
合格者のストーリー
ひどいときは、学校の中で下から10番になりかけた時もあった
そう語るのは、偏差値78の東大寺学園から京都大学経済学部に特色入試で合格した上林山大吉さんだ。関西屈指の進学校で、周囲は東大・京大・医学部志望ばかり。約4割が浪人して進学するほど競争が激しい環境の中で、彼は高校2年の途中まで成績低迷に苦しんでいた。
しかし転機は突然訪れた。「この先生の言ってることを信じて勉強しよう」と決意した瞬間から、成績は「周りが引くレベル」で急上昇。クイズ研究部での6年間と生徒会長2年間の活動が、学びの設計書という形で研究テーマに昇華した。
小論文試験では5問中1問をほぼ白紙で提出。「やらかした」と直感しながらも、一般入試への切り替えを並行させる冷静な判断を続けた。そして2月7日、卒業式よりも早く、京都大学の合格通知が届いた。
この記事では、上林山さんが歩んだ逆転合格の軌跡と、京大特色入試を突破した受験戦略を詳しく追う。
東大寺学園での6年間|自由な環境と成績低迷の時代
上林山さんが東大寺学園を目指したのは、小学生のときに自分から親に「行きたい」と申し出たことがきっかけだった。テレビのクイズ番組でロザンの宇治原を見て憧れ、「あの人みたいになりたい」という純粋な思いから勉強を始めた。関西の私立を軒並み受験し、偏差値78の東大寺学園中学に合格したのは、完全に自分の意志による選択だった。
入学後の中学時代は順調だった。クイズ研究部と生徒会活動を始めた。塾への通学時間は往復2時間かかったが、その時間を復習に活用する習慣を身につけた。「その日のうちに復習する、そして1週間後にもう一度やる」というサイクルが、彼の学習の基礎を作り上げた。
しかし高校に上がると状況は一変する。中高一貫校特有の「まだ時間がある」という感覚が、受け身の学習姿勢を生んだ。「とりあえず授業を受けておこう」という意識で日々をこなすうちに、成績はじわじわと下降していった。
それでも、上林山さんは不思議と焦らなかった。「後で勉強するしな」という楽観的な心境が根底にあり、自分に対する根本的な自信は失っていなかった。「勉強したらできるっていう自信があった」と彼は振り返る。この揺るがない自己肯定感こそが、後の逆転劇の伏線になっていた。
「ルールに縛られず、やりたいことをやりきれた」男子校6年間の実像
東大寺学園を「最高の6年間でしたね。子どもができたら、絶対に入れたいと思います」と語る上林山さん。その言葉の裏にあるのは、男子校という環境が生み出す独特の自由さだ。
「異性の目を気にせずに、自分でやりたいことを思うがままにやりきれた」という言葉が象徴するように、この学校には「やりたいことをやれ」という文化が根付いていた。クイズ研究部といえば東大寺学園、というほどクイズへの情熱が認められている環境の中で、上林山さんはひたすらクイズに没頭した。「Qさまとかに出ることを夢見て、ひたすらクイズを黙々と解く」日々が続いた。
東大・京大・医学部志望ばかりの仲間に囲まれ、約4割が浪人する環境は、ある意味で受験への本気度を常に刺激し続けた。しかしそれは焦りではなく、「本気でやる場所として選んだ」という誇りとして機能していた。
小学校の憧れから京大へ|ロザン宇治原とクイズが作った問題意識
上林山さんの原点は、テレビのクイズ番組だった。小学校時代、ロザンの宇治原を画面の中に見て「あの人みたいに勉強できるようになりたい」と思った。その憧れが勉強への動機になり、中学受験という行動に変わった。
クイズへの情熱は中学・高校でも続いた。クイズ研究部に6年間所属し、Qさまへの出場という夢を実現させた。クイズを通じて培った暗記力は本物だった。「暗記はめちゃくちゃ強かった自信があります」と語るように、共通テストの世界史では本番で満点を獲得している。
そのクイズ活動の中で、一つの問いが頭に植え付けられた瞬間があった。高校時代、クイズの問題で日本企業の時価総額ランキングの変化を目にしたときのことだ。1990年のバブル期には上位を占めていた日本企業が、30年後にはトヨタくらいしか入っていない。
「日本ってめちゃくちゃすごい国だと勝手に思ってたのに、世界で見た時に、日本ってこんなに小国になったのか」
この衝撃が、経済学部志望と研究テーマの原点になった。「そういうのを解決できるような経営者になれたらいいな」という漠然とした思いが、特色入試の学びの設計書で「日本の大手企業の衰退」というテーマへと結実していく。
知識への好奇心が問題意識に育ち、問題意識が研究テーマになる。クイズから始まった一本の線が、京大経済学部という志望校選択へと自然につながっていた。
高校2年途中の転機|下から10番から「周りが引くレベル」の逆転劇
高校2年の途中、上林山さんに明確な転機が訪れた。「受験を本気で意識する」という当たり前のようで難しい切り替えが、一つの気づきから起きた。
それは先生選びだった。「この先生の言ってることを信じて、勉強しよう」と決意できる存在を見つけた瞬間から、学習への向き合い方が根本から変わった。受け身から能動へ。「とりあえず受ける授業」から「この人を信じて進む勉強」へのシフトは、成績に劇的な変化をもたらした。
「周りが引くレベルで上がりました」という言葉が全てを語っている。下から10番だった成績が、文系でトップ10から外れないレベルまで上昇した。
この経験から上林山さんが導き出した哲学は明快だ。「復習のタイミングを間違えないことと、絶対的に信頼できる先生を見つけること」。複雑に見える受験の本質を、彼はシンプルな二つの原則に集約している。
受験生へのメッセージとして今も語り続けるこの言葉は、自分が下から10番という状況から体で証明したものだ。机上の空論ではなく、逆境の中から生まれた確信だからこそ、重みが違う。
「この人を信じ切れるか」を基準にした戦略的な塾・先生の選び方
先生選びへのこだわりは、塾選びにも徹底して反映された。「完全に反骨精神ですよね」と笑いながら語るように、上林山さんは大手塾への疑問を持ち続けていた。
「単発で月一回、有名な先生の授業を受けて、どう賢くなるんだって思って」
選んだのは、医学部受験生特化の少人数制塾だった。医学部志望者は共通テストの比重が高いため、共通テスト対策が徹底されている。この塾を選んだのは単なる偶然ではなく、「共通テストをしっかりやっていた人たちと一緒に勉強したほうが、共通テストの対策になる」という戦略的な判断だった。
さらに、教科ごとに異なる先生・塾を選ぶという柔軟な戦略も取った。現代文については、中学受験でお世話になった先生に再度依頼した。人への信頼を軸にした、アナログで合理的な選択だった。
勉強法も独自だった。世界史の教科書を緑マーカーで助詞・助動詞以外を全て塗りつぶし、赤シートで隠しながら暗記するという方法。単語カードには公式だけでなく「俺はどうして京大に行きたいんだ?」という自分への問いも挟んでいた。方法論を超えた、哲学的な受験への向き合い方がそこにある。
生徒会長2年間とクイズ部活動|総合型選抜で評価された活動の一貫性
クイズ研究部6年間と生徒会長2年間。一見すると無関係に見えるこの二つの活動が、総合型選抜という舞台で見事に連動した。
生徒会長としての2年間は、プレゼンテーション能力と文章力を徹底的に鍛える場だった。生徒会の運営、学校への提案、他の生徒への説明。この積み重ねが「文章を書く力」と「人前で話す力」として体に刻まれた。
「生徒会やってたんで、そういう時のプレゼンだったり、文章を書く力っていうのが、そのまま大学入試に生きた」
上林山さんはそう語る。学びの設計書の作成、小論文の記述。これらを支えたのは、2年間の生徒会活動で養われた「伝える力」だった。
クイズ研究部での活動も、単なる趣味の域を超えていた。6年間の継続的な活動の中で培われた暗記力と知識の広さは、共通テストで世界史満点という具体的な成果として現れた。また、クイズを通じた知識獲得への姿勢が、日本の時価総額ランキングという問題意識につながり、経済学部志望の根拠になった。
バラバラに見える活動の一つ一つが、「自己決定して動き続けた人間」という一本の軸でつながっていた。総合型選抜が評価する「一貫性」とは、まさにこのことだ。
京大特色入試の受験戦略|学びの設計書と小論文対策の全手順
志望校の選択から、上林山さんの戦略的な思考は始まっていた。選択肢は二つあった。東大の推薦入試と、京大の特色入試だ。
東大推薦のライバルには、物理オリンピックの金メダリストがいた。「戦ったら負けるのかって思ったら、リスクを回避して京大に行こう」という判断は、感情ではなく冷静な勝算の計算から生まれた。京大特色入試は各学部1人ずつ推薦可能で、推薦を受けられる可能性が高かった。
特色入試の核となる「学びの設計書」では、テーマを「日本の大手企業の衰退」に設定した。1990年のバブル期に時価総額ランキング上位を占めていた日本企業が、現在はほぼ姿を消している。このショックから生まれた問題意識を、経済学部での研究テーマとして言語化した。課外活動の成果を将来の目標にどう結びつけるかという設計書の本質を、彼は自分の実体験から自然に表現できた。
小論文対策では、京大経済学部の特性を徹底的に分析した。500点中400点が現代文ベースの問題という特徴から、「筆者の主張を絶対に外さない」という一点に集中した。
「筆者の主張を絶対に外さない。ここはめっちゃ徹底します」
一般論が述べられた後に筆者の独自見解が来るという文章構造を意識し、要約力を磨く。現代文の授業を真剣に受け、「なんとなく選択肢を選ぶんじゃなくって、自分の頭で考えながら」選ぶ習慣を徹底した。
特色入試専門の塾には通わず、一般入試の準備も並行して継続した。「どっちかには絶対受かるだろう」という信念を持ちながら、両方の可能性を最後まで閉じなかった。
「やらかした」と思った小論文白紙からの切り替え
本番当日、想定外の事態が起きた。A4用紙30枚の問題用紙に対し3000字で答えるという試験形式の中で、時間が足りなくなったのだ。5問中1問をほぼ白紙で提出せざるを得なかった。
「やらかしたって思って、一般に切り替えました」
この言葉に、上林山さんの冷静さが凝縮されている。焦りや後悔ではなく、即座の戦略切り替え。特色入試でダメなら一般で取る。その信念があったからこそ、白紙提出という最悪の状況でもメンタルが崩れなかった。
続く共通テストでも試練があった。京大志望者が多い環境では87〜88%がボーダーとされる中、上林山さんの得点は85%程度。「死んだって思って」志望校を下げるかどうか迷ったが、最終的に京大への突撃を決めた。
そして2月7日、日本の自宅で迎えた合格発表。自分の受験番号を覚えていなかったために、合格したことが一瞬信じられなかった。「どうして自分の番号覚えてないんだ」と苦笑しながら確認した合格通知。卒業式を1か月以上先に控えた、その日だった。
総合型選抜で評価された要素の分析|一貫性と自己決定力の証明
上林山さんの合格を分解すると、いくつかの共通する要素が浮かび上がる。
活動面では、クイズ研究部6年間の継続と、生徒会長2年間のリーダーシップ経験が光った。Qさま出場という具体的な成果も、継続の証明として機能した。活動の規模よりも「やり続けた」という事実が、大学側に一貫性として届いた。
思考面では、クイズで得た知識が日本企業衰退という問題意識につながり、経営者としての将来ビジョンまで一本の線でつながっていた。受験テクニックではなく、本物の問題意識から生まれたテーマ設定が、学びの設計書に説得力を与えた。
人物面で最も際立っていたのは、幼少期からの自己決定力だ。中学受験を自分で決め、塾選びも自分でし、東大推薦ではなく京大特色入試を選んだ。「規制されないこと。流されなかった」という言葉に凝縮された、一貫した自律性が評価された。
学力面では、共通テスト85%という足切りクリアと、現代文力に裏打ちされた小論文の読解力が機能した。一般入試でも合格可能な基礎学力が、特色入試の書類と面接にも厚みを与えた。
「この人を信じ切れるか」を基準に先生を選び、信じると決めたら信じ切る。「完全に反骨精神」で大手塾を選ばず、自分の目で最適な環境を選んだ。この一貫した意思決定のパターンこそが、18年間の経験として大学に届いた。
合格後と受験生へのメッセージ|一般入試で輝けない子たちへ
合格は2月7日だった。しかし上林山さんはその事実を、一般入試の合格発表まで秘密にした。親しい友人3人だけに伝え、他には一切口にしなかった。
その小さなエピソードに、彼の人柄が滲み出ている。成果を誇示せず、仲間への配慮を優先する姿勢。6年間の男子校生活で培われた、友人関係への誠実さだ。
現在、上林山さんは慶教ゼミナールで総合型選抜の指導を行っている。「未来の高校生たちに、総合型選抜の夢を与える仕事」と語るその活動の背景には、明確な問題意識がある。
「一般入試でなかなか輝けない子たちっていうのがいるのは事実」
点数だけでは測れない才能を持つ高校生が、入試制度の壁によって可能性を閉じてしまうことへの問題意識。自分が経験した「信じ切れる先生との出会い」が人生を変えたように、出会いと機会が子供たちの未来を変えると信じている。
受験生へのメッセージは、シンプルだ。復習のタイミングを守ること。信頼できる先生を早く見つけること。そして、勉強を好きになれる環境を自分で作ること。



