Story
合格者のストーリー
「評定3.5、英語資格なし、暗記は苦手で勝負できない」
数字だけを並べれば、慶應義塾大学の総合型選抜に挑む条件としては心もとない。それでも男沢壮真さんは、成城学園高等学校から慶應義塾大学環境情報学部(SFC)の総合型選抜(AO入試)に合格した。指定校推薦の基準には届かない。一般入試で勝つには暗記力が足りない。残された道は、総合型選抜の一本道だけだった。
高校2年の12月、姉の大学受験を間近で見て「自分も受験しなきゃ」と腹を括る。翌月から総合型選抜対策塾に入り、約1年間で志望理由書、研究計画、面接対策を仕上げ、慶應SFC一本に絞って合格を掴み取った。武器はライフセービング部での経験と、「ビーチフラッグスにおける日本の競技力向上」という独自の研究テーマ。さらに小学生時代の怪我という原体験までを一本のストーリーに繋げた、徹底的な一貫性だった。本記事では、男沢さんが評定3.5から慶應SFC合格までを駆け抜けた1年間の全戦略を、本人の言葉とともに余すことなく公開する。
成城学園高校から慶應SFCを目指した理由

男沢さんは成城学園小学校に入学し、中学校・高校と内部進学を続けてきた。家は東京都町田市。実家から学校までは片道1時間20分かかる。「お受験組」として育ったが、勉強そのものに執着するタイプではなく、小学生時代は外遊びと自転車に夢中だった。幼稚園のころに通っていた塾では洗濯物のたたみ方まで習ったというから、家庭としては教育に投資する方針だったが、本人は遊びの延長で日々を過ごしていたタイプだ。
成城学園は小学校から大学まで擁する一貫校である。評定4.5以上の成績優秀層は指定校推薦で上智大学などに進み、内部進学する生徒も一定数いる。総合型選抜で外部の難関大学を狙う生徒も少なくない、進路の選択肢が広い学校だ。男沢さんはその中でどこを選ぶのか、長く決めかねていた。しかし男沢さんの評定は3.5。指定校推薦の対象には届かない。さらに英検をはじめとする英語資格は持っていなかった。「暗記系の勉強が苦手だった」と本人も明言する。一般入試で勝負するのは現実的ではない――そう判断したとき、慶應SFC総合型選抜という選択肢が浮上した。
小学生時代の怪我が「助ける側」への原動力になった
慶應SFCを目指すと決めた背景には、小学生時代に経験した一つの出来事があった。男沢さんは自転車で転倒し、手首を骨折する大怪我を負った。手術が必要なほど骨がズレた状態。痛み以上に強烈に記憶に残っているのは、転倒した瞬間に周囲の人が誰も助けに来てくれなかった、あの孤独感と悲しさだった。「自分を助けるようになりたいなとか思って」――男沢さんは当時の感情をこう振り返る。怪我そのものよりも、助けてもらえなかったという事実がその後の人生を方向づけた。中学に上がると、姉がライフセービング競技に取り組んでいることを知る。高校に進むタイミングで自身もライフセービング部に入部した。原体験から始まった「人を助けたい」という気持ちが、後に慶應SFCで研究したいテーマへと繋がっていく。
評定3.5・英語資格なしで挑んだ総合型選抜
総合型選抜を本格的に意識し始めたのは高校2年の12月。きっかけは姉の大学受験だった。姉は成城学園から外部受験で中央大学に進学している。家族のなかで「受験する」という空気が当たり前になっていく。男沢さんも「自分も受験しなきゃな」と決意を固めた。家庭からは一つの条件を渡されていた。「成城学園以外に行くなら、学費は出さない」。チャレンジを促す家庭の教育方針による条件だった。後がない。受かるしかない。プレッシャーは決して小さくなかったが、その分覚悟が決まった面もある。男沢さんの両親は「やりたいことをやっていい」というスタンスで、勉強しろと言われたことは一度もなかった。だからこそ、自分で受験を決めた以上は、家族からの暗黙の信頼に応える責任があった。
翌月、高校2年の1月に総合型選抜対策塾に入塾する。塾選びに迷いはなかった。「学ぶ場所が必要」「絶対に受験する」――この二つの事実が動いていない以上、塾に行く以外の選択肢を考える理由がなかった。判断は速く、行動は早かった。塾に入って最初に直面したのは、周囲との差だった。同じ総合型選抜を目指す塾生は、評定4.5以上の生徒や英語資格保持者が並ぶ。男沢さんは評定3.5、英検なし。客観的に見れば、最も後ろからのスタートだった。それでも男沢さんは「自分にできないことを嘆くより、できることを全部やる」方向に切り替えた。
「受からないとやばい」という危機感が動力だった
評定や資格で勝負できないなら、活動と研究テーマと志望理由書で差を作るしかない。睡眠時間を削り、エナジードリンクで意識を保ちながら机に向かう日が続いた。もともとは早寝早起きタイプだったが、生活リズムは大きく変わった。「分からないとやばいっていうのがまずあった」――この危機感が、男沢さんを動かし続けた。塾の大学生スタッフに分からないことは積極的に質問し、自分の文章を何度も読んでもらった。質問を重ねるうちに、自分の文章の「変な部分」が自分で認識できるようになっていった。客観視能力の獲得は、後に志望理由書を磨き上げる段階で決定的な意味を持つ。
ライフセービング部での挑戦と探究活動



男沢さんの活動の軸は、高校1年から続けてきたライフセービング部だった。部員構成は男女半々。海での監視活動、救命応急処置の習得、走る・泳ぐ・筋トレといった基礎トレーニング。日曜日には海で実践練習を重ね、夏には実際にビーチでの監視業務に参加した。中学時代に競泳部で泳ぐことが好きになり、姉のライフセービングへの取り組みを見て自然に進んだ流れだった。しかし入部してすぐ、部活が綺麗な活動だけではないことも知る。夏の監視活動でお客様に声をかけて怒られた経験は、「いいことをしているはずなのに」という葛藤として男沢さんに残った。離岸流の危険を伝えるため遊泳客に声をかけた瞬間、相手から疎まれる目線を向けられる。安全のために動いているはずが、現場では必ずしも歓迎されない。
それでも、人命救助の現場に立ち続けるなかで、ライフセービングは男沢さんの人生の軸になっていった。「ライフセービングに人生も変えてもらえたし、やってて楽しいし、やってて意義があることだと思っている」――この実感が、研究テーマの土台にもなっていく。世の中にいいことができているという確信が、活動を続ける原動力だった。
4秒で勝負が決まるビーチフラッグスへの情熱


ライフセービング競技のなかでも、男沢さんが特にのめり込んだのがビーチフラッグスだった。砂浜にうつ伏せで寝た状態からスタートし、立ち上がって走り、フラッグを取り合う。勝負は約4秒で決着する。短い時間にスタート姿勢、起き上がり動作、ダッシュ、フラッグへの飛び込みのすべてが詰まっている。男沢さんはこの「4秒の競技」に圧倒的な情熱を注いだ。速い選手にDMを送って一緒に練習をお願いし、論文を読み込み、自分の動作を分析する。0.5秒後の膝の角度といった細部まで掘り下げ、起き上がり動作の解析に取り組んだ。後にこの研究が志望理由書の中核になることを、まだ本人も知らない時期から、純粋に「速くなりたい」という気持ちで動き続けていた。この「好きが先にあった」という事実こそが、後に総合型選抜で大学側に伝わる説得力の源泉になる。
志望理由書作成で「めちゃめちゃ悩んだ」研究テーマ決定
総合型選抜で最も時間と精神力を消耗したのが、志望理由書だった。とりわけ研究テーマの決定では「めちゃめちゃ悩みましたね」と言い切るほどの試行錯誤が続いた。最初に書いた志望理由書のテーマは、「日本の人命救助がうまくいっていない現状を解決したい」という漠然としたものだった。問題意識は本物だったが、研究テーマとしては抽象度が高すぎた。「日本の人命救助」と一括りにしても、何を、どこから、どう研究するのかが見えない。「革命的で面白いテーマ」を求めて思考を巡らせるが、なかなか手応えが掴めない。書いては破り、書いては書き直す日々が続いた。
塾の大学生スタッフに何度も文章を見てもらい、フィードバックを受け、書き直す。それでもピースが噛み合わない時間が続いた。受験本番が迫るなか、男沢さんの不安は日に日に増していった。「分からないとやばい」という危機感だけが、机に向かわせる動力だった。睡眠を削り、エナジードリンクで意識を保ちながら、自分が本当に何を研究したいのか、ペンを止めて考え続けた。評定でも英語資格でも勝てない以上、志望理由書の中身でしか勝負できない。それは分かっていた。それでも「これだ」と腑に落ちるテーマが見つからない焦りは、想像以上に重かった。
「君がすごい好きそうじゃん」が転機になった瞬間
転機は、人との会話のなかで突然訪れた。ある人との対話で、ビーチフラッグスの話をしているときに「君がすごい好きそうじゃん」と言われた一言。その瞬間、男沢さんは気づく。「自分でビーチフラッグスがこんなに好きだったんだ」「周りも絶対こんな研究してないよな」。ずっと「人命救助」という大きなテーマから降ろそうとしていた研究計画が、自分が一番楽しんでいる4秒の競技という方向から立ち上がっていった。逆だったのだ。社会課題から研究を組み立てるのではなく、自分が掘り下げたくて仕方ないものから出発し、それが社会的にどう意味を持つかを後から接続する。順番が逆転した瞬間、思考が一気に解放された。
8月頃、志望理由書の骨組みがようやく完成した。研究テーマは「ビーチフラッグスにおける日本の競技力向上」。研究の独自性は二つあった。一つは、男沢さん自身が「めちゃめちゃやりたかった」テーマであること。もう一つは、ライフセービング競技の中でもビーチフラッグスを学術的に研究している人がほとんどいなかったこと。情熱と独自性が重なった瞬間だった。ここから男沢さんは一気に動く。速い選手に直接連絡を取って一緒に練習し、論文を読み、起き上がり動作を解析し、日本人選手に適したスタート法を導き出した。志望理由書には研究テーマを5つの柱の一つとして据え、自分の原体験(小学生時代の怪我)→ライフセービング部→ビーチフラッグス研究という一本のストーリーに統合していった。漠然とした「人命救助」が、競技時間4秒のなかにある具体的な動作解析へと収斂した瞬間に、志望理由書は別物になった。
SFC一本に絞った受験戦略と慶應合格までの道のり
男沢さんの戦略はシンプルだった。慶應SFC一本に集中し、他の併願校には最小限のリソースだけを割く。「1本しかなかった」「やることは明確だった」――選択肢の少なさが、逆に集中力を生み出した。形式的には併願校として筑波大学体育専門学群、立命館大学スポーツ健康科学部にも出願した。ただし、これら他大学の出願書類は3〜4日で仕上げた。第一志望のSFCに準備時間と精神力を集中投下するためだ。結果として筑波大、立命館大は不合格。それでもSFCを掴み取ることができた。本人も「SFC一点張りを推奨する」と語る。リソース分散は、限られた時間と気力を持つ受験生には合理的な選択ではなかった。
1年間の志望理由書の磨き上げプロセス
塾での1年間は、ひたすら志望理由書と研究計画を磨き上げる時間だった。男沢さんは大学生スタッフに積極的に質問し、自分の文章のどこが弱いのかを言語化する訓練を重ねた。「自分の文章の変な部分」を客観視できるようになるのが、最大の学びだったという。最初は他人に指摘されないと気づかなかった違和感が、半年もしないうちに自分で見えるようになる。これは志望理由書だけでなく、面接対策にも効いた。面接対策も塾のサポートを受けながら準備した。ビーチフラッグス研究の動機、ライフセービングへの想い、原体験との繋がり、慶應SFCで何を学ぶか――問われる可能性のあるすべての論点に対して、自分の言葉で答えられるようにしていった。「全く妥協しなかったことですかね」――合格の決め手を聞かれたときの男沢さんの答えは、この一言だった。
大学に評価された「全く妥協しなかった」姿勢と一貫性

慶應SFCの総合型選抜は、偏差値や評定だけで合否が決まる入試ではない。受験生の活動実績、思考力、人物像、将来ビジョン、そして「これらが一つのストーリーとして繋がっているか」が総合的に評価される。男沢さんはこの観点で見れば、相当に強い候補者だった。活動面では、ライフセービング部で実際に海岸監視を担当し、人命救助の現場に立ってきた経験がある。思考面では、ビーチフラッグスの動作解析という、競技経験者だからこそ着想できる独自の研究テーマを設定した。人物面では、評定や英語資格で劣る中で「全く妥協しなかった」姿勢が出ている。将来ビジョンとしては、ライフセービングを軸に「人の人生を変える」活動を続けたいという明確な意思があった。
そして何より、すべてが一本の線で繋がっていた。小学生時代に助けられなかった経験 → 自分が助ける側になりたいという原動力 → ライフセービング部入部 → ビーチフラッグスへの情熱 → 動作解析研究 → 慶應SFCで深めたい学問。物語の出発点と到達点が、一人の人間の中で矛盾なく結ばれていた。総合型選抜の評価者から見れば、これは強力な物証だった。「この受験生は、入学後も自分のテーマを掘り下げ続ける」と判断する材料が、志望理由書の隅々から立ち上がっていた。逆に、評定や英語資格は、この一貫性の前では決定打にならなかった。慶應SFCが求めていたのは、点数の高い受験生ではなく、自分のテーマを一生かけて追える人間だったのだ。
受験生・保護者へのメッセージ|誰よりもやった人が受かる
男沢さんは現在、慶應義塾大学環境情報学部の3年生として在学中だ。大学では引き続きライフセービング関連の研究に取り組み、150人規模のライフセービング団体で監視長を担当している。週2回キャンパスに通学し、一般入試組とも総合型選抜組とも分け隔てなく交友関係を築いている。将来は「人の人生を変える」活動を軸に、コーチング事業の立ち上げを計画している段階だ。
そんな男沢さんが伝えたいメッセージはシンプルだ。「自分なんか駄目なんだとか、そういうふうな思い込みは持たないでほしい」「本当に誰にでもチャンスがある。誰でも人生を変えられるものだと思っている」。評定3.5、英語資格なし、暗記苦手――これだけ並べれば「無理」と諦めても不思議ではない条件だった。それでも男沢さんは合格した。彼の言葉にはその実感がある。「誰よりもやった人が受かるものだと思っている」。総合型選抜で問われるのは、偏差値の高さでも英語資格のスコアでもない。自分のテーマと向き合い、調べ、考え、書き直し、行動を積み上げた量。「案外誰でもできるようなことを、論文をちょっと調べてみるとか、調べることは誰でもできる」――誰でもできることを、誰よりもやり切る。男沢さんが慶應SFCの合格通知を掴むまでに通った道は、特別な才能の話ではなく、当たり前を積み上げる覚悟の話だった。
