Interview Feature / 合格者インタビュー

「アイロン」しか言えなかった少年が慶應SFCへ

アメリカ現地高校から帰国生入試で慶應SFC合格・学習院進学までの全戦略

アメリカに渡ったばかりの頃、彼が口にできた英単語はたった一つ、「アイロン」だけだったという。言葉が通じず、文化も食事も違う。そんな状態から5年7ヶ月。高田光生さんは、慶應義塾大学SFCの帰国生入試に合格し、最終的に学習院大学法学部政治学科へ進学した。だが、その道のりは決して華やかな帰国子女のサクセスストーリーではない。英語ができないという理由で学年を下げられそうになり、帰国後は今度は日本語が書けずに小論文で苦しんだ。TOEFLは最初64点。「死んでしまいます、助けてください」と塾に懇願したところからのスタートだった。彼を支えたのは、たった一つの行動原理だった。「制度がないなら自分で作る」。この記事では、言語の壁という二重の逆境をどう乗り越え、帰国生入試と一般入試をどう併用し、限られた時間で何に集中したのかを、本人の言葉とともに追っていく。

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「アイロン」しか言えなかった少年が慶應SFCへ
出身高校
Capistrano Valley High School(米・カリフォルニア州)
合格先
慶應義塾大学SFC(帰国生入試)/学習院大学 法学部政治学科
入試方式
総合型選抜
準備期間
受験日から半年未満(帰国後2〜3ヶ月の短期集中)

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Contents

この記事でわかること

リアルなストーリー

米国の現地高校から慶應SFC(帰国生入試)に合格するまでのストーリー

探究活動の作り方

日本語が弱い帰国生が小論文をどう克服したか

志望理由書の秘訣

TOEFLを3ヶ月で64点から102点に伸ばした英語学習法

受験戦略と面接対策

帰国生入試と一般入試を併用し、科目を絞った受験戦略

こんな人におすすめ

  • 慶應SFCなど難関私大の帰国生入試を目指している受験生
  • 帰国子女で日本語の小論文に不安を感じている人
  • 海外経験をどう大学受験の強みに変えるか知りたい人
  • 帰国生入試と一般入試の併願戦略を知りたい受験生

Key Points

今回の合格を支えたポイント

01

Point 01

日本語の壁を小論文の「型」で乗り越えた

英語での論理構成を日本語に落とし込み、対比構造で結論に導く小論文の型を徹底。漢字が書けない状態から論理的な文章を書けるレベルへ引き上げた。

02

Point 02

英語資格を短期集中で武器化した

TOEFLを3ヶ月で64→102点に伸ばし、英検1級も取得。帰国生入試の出願力を大きく高めた。

03

Point 03

科目と入試方式を戦略的に絞った

受けられる大学・学部を冷静に見極め、英語・世界史・小論文に絞って短期集中で勝負。帰国生入試と一般入試も併用した。

Profile

合格者プロフィール

高田 光生
「制度がないなら自分で作る。環境が合わなければ、環境を変えにいけばいい。」

高田 光生

たかだ こうき

出身高校
Capistrano Valley High School(米・カリフォルニア州/私立・文系)
合格大学・学部
慶應義塾大学SFC(帰国生入試)/学習院大学 法学部政治学科 ※学習院に進学
入試方式
帰国生入試・一般入試(併願)
第一志望
慶應義塾大学 法学部政治学科
英語資格
英検1級 / TOEFL 113
最終評定平均
3.5〜4.0
部活
アメフト部(米・全米4位)/吹奏楽(中学・日本)
準備期間
受験日から半年未満(帰国後2〜3ヶ月の短期集中・代ゼミ/リバティアカデミー)
飛び級制度を教育委員会に直談判して創設 全米4位のアメフト部 模擬国連 TOEFL 64→102点(3ヶ月) 帰国生向けオンライン英語塾を起業・売却
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Story

合格者のストーリー

アメリカに渡ったばかりの頃、彼が口にできた英単語はたった一つ、「アイロン(iron)」だけだったという。言葉が通じず、文化も食事も違う。そんな状態から5年7ヶ月。高田光生(たかだ こうき)さんは、慶應義塾大学SFCの帰国生入試に合格し、最終的に学習院大学法学部政治学科へ進学した。

だが、その道のりは決して華やかな「帰国子女のサクセスストーリー」ではない。英語ができないという理由で学年を下げられそうになり、帰国後は今度は日本語が書けずに小論文で苦しんだ。TOEFLは最初64点。「死んでしまいます、助けてください」と塾に懇願したところからのスタートだった。

彼を支えたのは、たった一つの行動原理だった。「制度がないなら自分で作る」。この記事では、言語の壁という二重の逆境をどう乗り越え、帰国生入試と一般入試をどう併用し、限られた時間で何に集中したのかを、本人の言葉とともに追っていく。帰国生入試を目指す受験生、そして日本語や英語のハンデに悩むすべての受験生に、具体的なヒントを届けたい。

「アイロン」しか言えなかった少年|アメリカ移住からの逆境スタート

高田さんの海外生活は、父の転勤から始まった。貿易系の外資系企業で働く父について、家族でカリフォルニア州へ。だが、いきなり英語環境に放り込まれた彼を待っていたのは、言葉の通じない孤独な日々だった。

「最初の2年間は本当、アイロンとしか言えない」

授業も、友達との会話も、何もわからない。言語だけでなく、文化も食事も日本とはまるで違う。多くの帰国子女が「英語ペラペラ」のイメージで語られる一方で、彼の出発点は、この「アイロンしか言えない」状態だった。後に英検1級・TOEFL102点に到達する彼でさえ、最初はゼロからのスタートだったのだ。

そんな彼の人格形成に大きな影響を与えたのが、父の存在だった。父は彼に、こう語っていたという。「お金持ちになりたかったら、社長になるか、会社を売るか、株式投資するくらいしかない」。この言葉は、幼い彼の中に「お金持ちになりたい」という明確な目標を刻み込んだ。そして父は、ただ語るだけでなく、実際に自分の口座を彼に使わせて株式投資を体験させた。お金やビジネスを机上の空論で終わらせない——この原体験が、後の地政学への関心や、学生起業へとつながっていく。

中学時代には一時帰国し、吹奏楽部という文化系の部活に所属した時期もあった。日本の文化にどっぷり浸かりながらも、彼はどこかでギャップを感じていた。日本とアメリカ、二つの世界を行き来する中で、彼は自分の立ち位置を模索し続けていたのだ。

父の口座で始めた株式投資

高校時代、彼はすでに父の口座を使って株式投資を実践していた。大学のエコノミクスの授業を受講した際には、教授から「Appleの株買っとけよ」と言われたこともあったという。お金持ちになりたいという願望は、漠然とした憧れではなく、具体的な行動として彼の日常に組み込まれていた。

この投資への関心は、大学での地政学の学びへと発展していく。世界情勢が市場をどう動かすか——彼にとって学問と投資は地続きだった。幼少期に父から受けた「お金とビジネス」の教育が、彼の一貫した軸を作っていたのだ。

学年を下げられる屈辱|「制度がないなら自分で作る」

高田さんの転機を語る上で外せないのが、高校入学時のある事件だ。彼は本来、高校2年生として現地校に入学する予定だった。ところが、英語力が不足しているという理由で、学年を一つ下げられ、高校1年からのスタートにされそうになったのだ。これでは、同世代より卒業が1年遅れてしまう。

彼の中で、強烈な感情が湧き上がった。

「絶対嫌だってなって飛び級しようってなりました」

同世代と遅れたくない——その負けず嫌いの精神が、彼を異例の行動へと突き動かす。普通の生徒なら、決まったことを受け入れて諦めるところだ。だが彼は違った。カウンセラーに掛け合い、翌日には教育委員会へとつないでもらった。そして、教育委員会の幹部5人を前に、まだ拙い英語で必死にプレゼンテーションをしたのだ。父も同席する中、彼は「自分はこの学年でやっていける」と訴え続けた。

飛び級制度は、その地域には一般的に存在しなかった。つまり彼は、前例のない制度を、自分自身のためにゼロから作り上げたことになる。

「制度がないなら自分で作る」

これは彼の生き方そのものを象徴する言葉だ。環境が自分に合わなければ、環境のせいにするのではなく、環境を変えにいく。この行動力は、後の起業や受験戦略にも一貫して流れ続ける。

そしてこの飛び級制度は、彼一人の問題解決では終わらなかった。彼が作ったこの制度を、後輩がのちに利用し、名門カリフォルニア大学バークレー校へと進学したのだ。一人の少年の「絶対嫌だ」という感情が、制度として残り、後輩の未来を開いた。逆境を、自分だけでなく他者の道へと変えた瞬間だった。

全米4位のアメフトと模擬国連|実力主義の中で磨いた力

学年問題を乗り越えた高田さんは、現地校での活動にも積極的に飛び込んでいく。中でも象徴的なのが、全米4位という強豪のアメフト部に所属したことだ。主力選手ではなく「席だけ入れてもらった」立場だったというが、それでも全米トップレベルのチームに身を置いた経験は大きかった。

そこは、厳しい上下関係と徹底した実力主義の世界だった。日本の部活とは異なる、結果がすべての環境。文化系の吹奏楽部からアメフトへという転身は、彼にとって大きなギャップだったはずだ。それでも彼は継続して参加し、実力で評価される世界の厳しさと面白さを肌で学んだ。

アメフトと並行して、彼は模擬国連にも参加した。各国の代表として国際問題を議論するこの活動は、彼の国際的視野とディベート能力を磨いた。世界情勢を多角的に捉える視点は、後の地政学への関心とも深く結びついている。さらに大学のエコノミクス授業を高校生のうちから受講するなど、海外高校ならではの環境を最大限に活用していた。彼は与えられた環境を、ただ受け取るのではなく、貪欲に使い倒していったのだ。

単語帳が3分割になるまで|英語をモノにした執念

「アイロン」しか言えなかった彼が、どうやって英語をモノにしたのか。その答えは、執念とも言える地道な努力にあった。彼はCNNやアメリカのニュースを、寝ている時間ですら流し続けた。そして単語帳「TOEFL3800」を、使い込んで3分割になるまで完璧にマスターしたという。

「単語がわからないと英語ってわからない」

彼が掴んだのは、シンプルだが本質的な真実だった。一冊を完璧にする——その積み重ねが、確かな成長につながる。一方で、彼は正直に失敗も語る。現地で彼女を作って英語を教えてもらおうとしたこともあったが、恋愛に頼った英語学習の効果は限定的だったという。結局、自分で単語帳を完璧にする地道な自習こそが、最も効いた。楽な近道を期待する受験生にとって、これは耳の痛い、しかし大切な教訓だろう。

帰国の決断と日本語の壁|小論文で「漢字が書けない」

順調に見えた高田さんの海外生活だったが、高校3年に差し掛かる頃、大きな決断を迫られる。父の転勤がいつ終わるか分からなかったのだ。もし高校を卒業した後に帰国すれば、帰国生入試の出願資格を満たせなくなる可能性があった。タイミングを逃せば、最大の武器である「帰国生」というカードを失ってしまう。

アメリカの大学進学も検討した。だが、スカラーシップ(奨学金)には全落ち。年間約1000万円もの学費を借金してまで通うべきか——彼は悩んだ末に、アメリカの大学受験はしないと決め、日本への帰国を選んだ。

ところが、帰国した彼を待っていたのは、今度は「日本語の壁」だった。高校時代は英語漬けの生活を送っていた反動で、日本語の能力が大きく落ちていたのだ。小論文を書こうとすると、そもそも漢字が書けない。論理的な日本語の文章を組み立てることに、彼は深く苦しんだ。英語ができずに苦労した少年が、今度は日本語に苦しむ——言語の壁は、形を変えて二度、彼の前に立ちはだかった。

追い打ちをかけたのが、帰国生向けの大手塾・代ゼミでの経験だった。そこには世界各国から集まった優秀な帰国生がいた。東大の帰国生入試を目指すような猛者たちに囲まれ、彼は強い劣等感を抱く。

「僕はめちゃくちゃ苦戦してて、苦労人ですね」

彼は自分を「苦労人」と表現する。地頭が特別良かったわけでも、何もかもがスムーズだったわけでもない。むしろ、つまずきと劣等感の連続だった。だが、その苦しさを率直に認められることこそ、彼の強さでもあった。彼は劣等感に飲み込まれず、それを「ここから伸びるしかない」というエネルギーに変えていく。

TOEFL64点からの逆転|英語の本質は動詞にある

帰国生入試で大きな武器になるのが、TOEFLや英検といった英語資格だ。だが、ここでも高田さんのスタートは決して恵まれていなかった。最初に受けたTOEFLのスコアは、わずか64点。彼は塾に駆け込み、こう懇願したという。

「死んでしまいます、助けてください」

危機感は本物だった。このスコアでは、目指す大学に届かない。彼が頼ったのは、慶應義塾大学の前にあったTOEFL専門塾「リバティアカデミー」だった。そこで出会ったのが、「英語の本質は動詞にある」という独自のメソッドだ。オンライン授業から対面授業に切り替え、このメソッドを徹底的に叩き込んだ結果——彼はわずか3ヶ月で、TOEFLを64点から102点へと劇的に伸ばした。

英検でも、彼は印象的なエピソードを残している。なんと、英検準1級には落ちたのに、英検1級に合格したのだ。順番が逆転したこの珍しいパターンは、彼の実力が「型にはまった試験向き」ではなく、本質的な英語力で勝負していたことを物語っている。最終的に提出したTOEFLスコアは113点。「アイロン」しか言えなかった少年が、ここまで到達したのだ。

この英語資格の積み上げが、帰国生入試における彼の出願力を大きく押し上げた。短期間でも、正しい方法と執念があれば、英語は伸ばせる。彼の経験は、英語資格に悩む受験生にとって、確かな希望になるはずだ。

帰国生入試と一般入試の併願戦略|科目を絞り、小論文に全振り

高田さんの受験戦略の核心は、「絞る」ことにあった。彼は当初、一橋大学を志望していたが断念。早稲田政経も共通テストが必要なため見送った。そして最終的に、英語・世界史・小論文という3科目で受けられる慶應法学部に狙いを定める。受けられる大学・学部を冷静に見極め、自分の強みが活きる科目構成に絞り込んだのだ。

入試方式も巧みに使い分けた。帰国生入試では慶應SFCと学習院を、一般入試では慶應法学部と学習院(練習も兼ねて)を受験。複数の方式を併用することで、合格のチャンスを最大化した。これは、一つの方式に賭けるのではなく、自分の持ち札を全て使う戦略的な発想だった。

時間配分も徹底していた。帰国後わずか2〜3ヶ月という短期集中の中で、彼は最大の弱点である小論文に、時間の8割5分を投入した。海外で学んだ数学は日本語に変換し直し、英語は帰国生としての優位性をそのまま活かす。限られた時間を、最も伸びしろのある場所に集中させたのだ。

小論文では、英語での論理構成を日本語に落とし込む作業を繰り返した。綺麗な対比構造を作って結論に導く——この型を身につけ、死刑制度のような定番テーマにも対応できるようにした。日本語のボキャブラリーと言い回しを地道に定着させ、漢字が書けなかった状態から、論理的な文章を書けるレベルへと引き上げていった。出願書類では、志望理由書や活動アピールに加え、海外の教師2枚から推薦書をもらい、英語資格証明書も揃えた。

結果は、慶應SFC合格、学習院は帰国生入試で書類選考のみで合格、一般入試でも合格。慶應法学部の一般入試は補欠、あと一歩で不合格という悔しさも味わったが、複数の合格を勝ち取ったのだ。

慶應SFC合格でも、学習院を選んだ理由

複数の合格を手にした高田さんだが、最終的に進学先として選んだのは、学習院大学法学部政治学科だった。慶應SFCにも合格していたものの、当時の彼にとってSFC合格は「なし寄りのなし」という気持ちだったという。合格と進学は、必ずしもイコールではないのだ。

学習院を選んだ背景には、彼の地政学への強い関心があった。志望理由でも語っていた通り、彼は国際政治や世界情勢を深く学びたかった。さらに学習院法学部には、成績優秀者向けの「早期選抜コース」があり、3年で卒業を目指せる。同世代と遅れたくないという彼の一貫した価値観に、これは見事に合致していた。

受験生にとって大切なのは、「どこに受かったか」だけでなく「どこで何を学ぶか」だ。高田さんは、ブランドや偏差値だけで進学先を決めなかった。自分が学びたいこと、自分の目標に合う環境はどこか——その視点で選んだ学習院で、彼は今、地政学を専攻し、早期卒業を目指して走っている。

受験生・保護者へのメッセージ|「死ぬ気で頑張るかで人生の残りが決まる」

最後に、高田さんが受験生と保護者へ伝えたいことを聞いた。彼の言葉には、二つの言語の壁を越えてきた者ならではの重みがあった。

受験生へのメッセージとして、彼が何より強調するのは「今の頑張りが人生を決める」ということだ。

「受験も就活も、この4年間、6年間を死ぬ気でやるかが人生の残りを決める」

22歳から60歳までの長い人生を、今のこの数年間の頑張りが左右する。だからこそ、ここで死ぬ気で取り組む価値がある——彼はそう信じている。「6年頑張ればいい未来が待っている」。逆境続きの中でも、彼が前を向き続けられたのは、この未来への確信があったからだ。

そして彼の行動原理である「制度がないなら自分で作る」という発想も、受験生に伝えたい大切なメッセージだ。環境が自分に合わなければ、嘆くのではなく、変えにいく。飛び級制度を作ったように、海外経験を日本での強みに変えたように。与えられた環境を最大限に活用し、足りないものは自分で取りにいく。その姿勢が、彼を慶應SFC合格へと導いた。

保護者へは、「子どもの挑戦を支援することの大切さ」を伝えたい。高田さんの父は、海外という環境を与え、株式投資を体験させ、飛び級のプレゼンにも同席した。子どもが失敗を恐れずに挑戦できるのは、それを後ろで支える存在があるからだ。海外経験への投資、そして挑戦を見守る姿勢——それが、子どもの可能性を大きく広げる。

「アイロン」しか言えなかった少年は、今、学習院で地政学を学び、起業や国際展開という未来を見据えている。負けず嫌いで、苦労人で、それでも諦めなかった一人の挑戦者の物語は、言語や環境のハンデに悩むすべての受験生に、確かな勇気を与えてくれるはずだ。

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Story Timeline

原体験から合格までの軌跡

原点となる体験

小学校時代

「アイロン」しか言えなかった移住

父の転勤でカリフォルニアへ。最初の2年間は「アイロン」としか言えず、言語・文化・食事で苦労。父から「お金持ちになりたいなら社長か会社を売るか株式投資」と教わり、父の口座で投資を始めた。

最大の転機

高校入学時

学年を下げられる屈辱と飛び級制度の創設

英語力不足で学年を1つ下げられそうになり「絶対嫌だ」と反発。翌日には教育委員会幹部5人の前で英語でプレゼンし、前例のない飛び級制度を自ら作り上げた。後輩はこの制度でバークレーに進学した。

実績のピーク

高校時代

全米4位のアメフトと模擬国連

主力ではないが全米4位のアメフト部に所属し、厳しい実力主義を経験。模擬国連で国際的視野を磨き、大学のエコノミクス授業も受講。CNNを聞き続け単語帳を完璧にして英語をモノにした。

原点となる体験

帰国・受験準備期

日本語が書けず小論文で苦戦

父の転勤時期が不明で帰国を決断。米大学はスカラーシップ全落ちで断念。帰国後は英語漬けの反動で漢字が書けず、代ゼミで優秀な帰国生に囲まれ劣等感を抱いた。

合格

受験期

TOEFL64点からの逆転と慶應SFC合格

リバティアカデミーの「英語の本質は動詞」メソッドで3ヶ月で64→102点。英検は準1級に落ちながら1級に合格。小論文に時間の8割5分を投入し、慶應SFC合格・学習院合格を勝ち取った。

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