Story
合格者のストーリー
「女の子なのに生徒会長?」——加藤心渚のジェンダー問題との出会い
保育園ボランティアで目撃した「3歳のジェンダーバイアス」


加藤心渚のジェンダー問題への関心は、中学時代のひとつの体験から始まっている。
公立中学校に通っていた彼女は、自分から生徒会選挙に出馬した。クラスのことをよくしたい、学校を変えたいという思いからの立候補だった。しかし、選挙活動を始めると、予想していなかった反応が返ってきた。
生徒会選挙に出馬したとき、周囲からこんな言葉が飛んできた。「女の子なのに生徒会長?」「女の子だから副会長でいいんじゃない?」——それは悪意からではなかったかもしれない。しかし、性別を理由に「できること」を制限しようとするその言葉が、当時の加藤心渚の胸に深く刺さった。生徒会長選挙に勝ち、その立場を全うしながら、彼女の中に静かに問いが育っていった。「なぜ性別によって、できることが決まってしまうのか」と。
そもそも、加藤心渚には幼いころから「自分らしさ」を性別で縛られてきた記憶がある。ずっとパンツスタイルを好んでいた。動きやすいし、それが好きだった。しかし周囲からは「男の子っぽい」という言葉が返ってくることがあった。服の好みと性別をセットにして語ることが、いかに当たり前のように行われているか——子どものころに感じたそのもやもやが、中学の生徒会選挙を経て、言語化できる問いへと変わっていった。
振り返れば、それ以前にも似た経験があった。幼いころからパンツスタイルを好む自分に対して、「男の子っぽい」と言われることが少なくなかった。着るものの好みと性別を結びつける周囲の視線が、もやもやとした感覚として蓄積されていた。中学での生徒会体験は、そのもやもやに輪郭を与えてくれた瞬間だったのかもしれない。
高校1年生になると、そのもやもやは確信へと変わる出来事が起きた。保育園でのボランティア活動で目撃した光景だ。
3歳の子どもが「男の子なのにおままごとしてたらだめ」と言った。保育士が「男の子はこっち、女の子はこっち」と無意識に子どもたちを分けた。加藤心渚が驚いたのは、それが大人からの強制ではなく、子どもたちが自分から性別による制限を内面化していた点だ。3歳という、まだ世界を学び始めたばかりの子どもたちが、すでにジェンダーのフィルターを通して遊びや言動を選んでいた。「子どもたちが自分らしくあれない環境というところに、とても課題視点を持ちました」と加藤心渚は語る。
中学での体験と保育園での目撃体験。二つの経験が結びついたとき、「ジェンダーと子ども」という研究テーマの輪郭がはっきりと見えてきた。これが、後に慶應SFC総合型選抜合格へとつながる探究活動の、すべての原点だ。
高校1年冬の「私のための入試だ」——総合型選抜との運命的な出会い
クラスで1人のSFC志望|孤独な受験を支えた塾と自己分析


「私のための入試だって思った」
高校1年の冬、加藤心渚はあるワークショップに参加した。高校の先生に勧められた、当時はまだそれほど深く考えずに向かったその場で、SFCへの入学を控えた先輩と出会った。
その先輩の話に、心が引き寄せられた。自分の研究テーマについて、目を輝かせながら自信を持って語る姿。「この人は、自分の好きなこと・信じることを大学受験という場に持ち込んで、しかもそれで勝ち取ったんだ」——その事実が、加藤心渚の価値観を揺さぶった。一般入試で科目を詰め込むより、自分の関心テーマを軸に戦える入試があると知ったとき、「絶対に一般入試より総合型選抜の方が向いてるなって思いました」という確信が走った。
総合型選抜という入試方法を知り、SFCというゴールを設定し、対策の塾を調べ始めた——すべてがその一夜の体験から動き出した。行き着いたのは総合型選抜専門塾AOIだ。個別指導のスタイルで、1対1でじっくりと受験対策に向き合う環境がそこにあった。
しかし、高校の教室に戻れば、加藤心渚はクラスで唯一のSFC志望だった。Msコースは当時新設から間もないコースで、学校側も手探りの状態。総合型選抜がまだ「リスクのある入試」として見られていた時代に、周囲と異なる道を選ぶ孤独感は、小さくなかった。
その孤独を埋めてくれたのが、塾での個別指導だった。なかでも大きかったのが自己分析の徹底だ。モチベーショングラフというツールを使い、自分の人生をグラフで振り返る。どの瞬間に熱量が高まり、どの瞬間につまずいてきたか。趣味や好きなものを羅列し、深掘りし、社会の課題と自分の興味の接点を探す。親への聞き取りで幼少期を振り返ることもした。
「本当の自分が分からない」という状態から、少しずつ「自分はこれが気になっている」という感覚が研ぎ澄まされていった。自己分析の果てに浮かび上がったのは、やはり「ジェンダーと子ども」というテーマだった。中学の生徒会体験も、保育園ボランティアでの目撃も、すべてがひとつのテーマに収束する——その気づきが、受験の軸を確立した瞬間だった。
慶應SFCの志望理由書を書くうえで、自己分析の深さは直接の武器になる。なぜこのテーマに関心を持つのか。どんな経験がそれを生んだのか。SFCで何を研究し、どんな社会に貢献したいのか。これらを説得力を持って2000文字で語るためには、「経験の棚卸し」という作業が不可欠だ。モチベーショングラフを使って自分の人生を可視化し、なぜ心が動いたのか、なぜ心が折れたのかを言語化する作業は、自分が思っていた以上に深い自己理解をもたらした。親への聞き取りで幼少期を振り返ったことも、「自分はずっとジェンダーという問いの近くにいた」という気づきにつながった。自己分析の精度が、志望理由書の深みを決める——加藤心渚の経験は、そのことを明確に示している。
SFCを志望した理由も、この自己分析を通じてより鮮明になった。複数の学問を組み合わせてひとつの課題に迫れるリベラルアーツの環境、自分が受けたい教授の授業があること、環境情報学部と総合政策学部の垣根が低い柔軟な学習環境——これらは事前のシラバス調査という能動的な行動から得た確信だった。「この大学でなければならない理由」を具体的に語れるだけの準備が、SFCの面接官の心に届いたはずだ。
NPO・弁論大会・経営者インタビュー——テーマに沿って積み上げた3年間の実績
自分でアポイントを取った経営者インタビュー——行動力が生んだ任意提出書類



高校2年生になると、加藤心渚の行動はより具体的になっていった。
NPO法人に高校生メンバーとして所属し、他の高校生たちと協力してオンラインイベントを企画・実施した。テーマはジェンダーと子ども。自分の研究テーマと完全に重なる活動の場で、企画から運営まで実践的なスキルを身につけていった。オンラインという制約の中でどう参加者に届けるかを考え、試行錯誤しながら形にしていく体験は、「探究」が頭の中だけのものではなく、実際に社会と接触するものだということを教えてくれた。
弁論大会にも出場した。保育園でのボランティア体験を題材に、ジェンダーと子どもというテーマについて自分の考えを公の場で言語化した。原稿を書き、何度も練習し、聴衆の前で話す経験は、後の面接対策にも確実に生きた。思いを言葉にする力、伝わる表現を選ぶ力——弁論大会はそれらを磨く場だった。
そして特に印象的なのが、経営者へのインタビュー活動だ。将来的に経営者を志していた加藤心渚は、複数の経営者に自分でアポイントを取り、実際に会いに行ってインタビューを実施した。多忙な経営者にアポイントを取るだけでも、高校生には相当な勇気とコミュニケーション能力が必要だ。それをやり遂げ、インタビューの内容をまとめた資料は、後に任意提出書類として活用された。
「自分にはできないって思わないこと」「初めの一歩から、どんどん始めていくことによって、どんどん積み重ねていける」——加藤心渚がメッセージとして語るこの言葉は、自らの高校生活を正確に言語化したものだ。コンクールや弁論大会への申し込みも、経営者へのアポイントも、最初は「書類を印刷する」という小さな一歩から始まる。その積み重ねの先に、慶應SFCに評価された活動実績が形成されていた。
ここで重要なのは、NPO・弁論大会・経営者インタビューというそれぞれの活動が、孤立した「実績」として存在するのではなく、すべてが「ジェンダーと子ども」という一本の軸で繋がっていた点だ。NPOでのオンラインイベント企画では、参加者にジェンダーの問題意識を届けることを目標に据えた。弁論大会では保育園での現場体験を土台に、感情論ではなく現場の実態から語る言語化の力を磨いた。経営者インタビューでは「将来、子どもやジェンダーに関わる事業を興したいとしたら、どんな組織づくりが必要か」という視点を持ちながら話を聞いた。活動を積む目的意識が明確だったからこそ、後の志望理由書で「なぜこの活動をしたのか」を一貫した文脈で語ることができた。英語劇部(ESS)への入部も、苦手だった英語を克服しながら自己表現の幅を広げるという、意志ある選択だった。
志望理由書2000文字と任意提出書類10点——慶應SFC総合型選抜の受験戦略全公開
面接で「勉強不足です」と答えて感じた後味の悪さ——素直さが評価された理由
高校3年生。受験の準備が本格的なフェーズに入った。
慶應SFC総合型選抜の志望理由書は2000文字だ。加藤心渚が取った構成は、「興味分野→きっかけとなった実体験→SFCで学びたいこと」という3段構成。保育園ボランティアで目撃した3歳の子どものエピソード、中学での生徒会体験——自分が実際に経験した具体的な場面を軸に据え、なぜこのテーマに向き合うのかを読み手(教授)に伝える文章を目指した。「書きたいことがたくさんあるのに2000文字という制限に収める苦しさ」を感じながら、塾での添削を何度も重ねて完成度を高めていった。読みやすさを重視し、教授の立場から見て一読して伝わる文章になるよう、構成と表現を何度も磨き直した。
任意提出書類は10点を準備した。実際に面接で見られるのは1〜2点程度とされているが、準備の過程で自分の活動を整理する作業自体が、面接対策にもなる。提出書類の内訳は、ジェンダーと子どもに関する活動の年表、SFCでやりたいことと受けたい教授名、経営者インタビューの感想、英検や書道の賞状など多岐にわたる。重要なものを上位に配置するという優先順位の付け方も、戦略的に考えた。
推薦書は2名に依頼した。高校の先生とNPO法人の理事長だ。2000文字程度で自分のアピールポイントを書いてもらう形式で、客観的な視点から加藤心渚の人物像を伝えてもらった。推薦書は自分で書けないぶん、依頼相手との関係性の深さが問われる。NPO活動を通じて信頼関係を築いた理事長に依頼できたことは、活動実績の積み重ねが形になった一例だ。
面接対策でも、加藤心渚は徹底的に準備した。想定質問を多数用意し、研究テーマの深掘りに対応できるよう繰り返し練習した。SFCの教授は受験生の知識量だけでなく「思考のプロセス」を問う傾向があるとされる。シラバスを事前に調査し、受けたい教授名を志望理由書に明記したのも、SFCへの本気度と理解度を示すための戦略だった。逆質問もホームページには載っていない情報を準備し、教授との双方向のやり取りを演出できるよう意識した。オンライン面接という形式を踏まえ、カメラを見て話すことで相手に誠実さが伝わるよう練習した。
そして迎えた面接本番。コロナ禍のため、オンライン形式での実施だった。
面接では予定30分のところを20分で終了した。「すごく不安でした」と加藤心渚は振り返る。時間が短くなるほど、問いが少なかったことを意味するかもしれない——その不安が面接終了後も頭の中を支配した。
追い打ちをかけるように、面接中にはアメリカのジェンダー問題について知識不足を露呈する場面があった。答えに詰まり、しかし咄嗟に正直に言葉を選んだ。「すいません、本当、勉強不足で」。さらに最後の逆質問で言葉に詰まり、「後味は悪かったです」と言うしかない状態で面接を終えた。
それでも合格通知は届いた。加藤心渚が「素直さがもしかしたら評価されたのかなって思います」と振り返るように、知識不足を正直に認め、「すぐに調べます」という前向きな姿勢を示す誠実さが、SFCの求める学習意欲と合致した可能性が高い。完璧な知識を披露することより、自分の現在地を正確に把握し、謙虚に学ぼうとする姿勢——それがSFCの総合型選抜で評価された本質かもしれない。
慶應SFCで研究を続け、大手不動産会社へ——総合型選抜が開いたキャリアの扉

慶應義塾大学SFC総合政策学部に入学した加藤心渚は、入学後も「ジェンダーと子ども」というテーマを手放さなかった。環境情報学部の教授の研究会に所属し、学部の壁を越えてリベラルアーツ的な学びを実践した。SFCの特性——環境情報学部と総合政策学部の垣根が低く、多様な学問を組み合わせてひとつの課題に迫れる環境——は、彼女が志望した理由そのものだった。入学前にシラバスを調査し、この教授の授業を受けたいと名指しで志望理由書に書いた先輩のような大学生活を、加藤心渚自身が実現していった。
SFCは湘南藤沢キャンパスを擁し、新宿から小田急線で約1時間、そこからバスで20〜30分という立地だ。決してアクセスが良いとは言えないが、その自然豊かなキャンパス環境の中に、法律・政策・テクノロジー・環境など様々な専門を持つ教授陣が集まっている。官僚やファイナンスの専門家、弁護士など、実務家出身の教授も多く、「社会問題を実際に動かす側の視点」から学べる環境が整っていた。ジェンダーと都市環境という自分のテーマを、政策・空間デザイン・社会学など複数の視点から多角的に探究するうえで、SFCは理想的な場だった。
大学3年生のとき、休学してオーストラリア・シドニーへ1年間の自費留学を決断した。語学学校に通いながら現地のカフェでアルバイトをし、経済的な自立を目指した留学だった。多様な国籍・年齢の人々との交流の中で、日本では当たり前に思っていた価値観が相対化される経験を積んだ。「属性に関係ないんだなっていうことを、私はそこで学んだ」という言葉は、ジェンダーをはじめとする属性への問いが、留学を通じてより深まったことを示している。
就職活動では、大手デベロッパーを中心に幅広く受験した。金融、保険、コンサルなど多業界のインターンにも参加しながら、行き着いた先が大手不動産会社だ。都市開発・まちづくりという仕事を選んだ理由は、高校時代に芽生えた「子どもが自分らしくあれる社会をつくりたい」という思いと無縁ではない。「保護者の人たちとか、子供たちにとって、住み心地のいいような、そういう憩いの空間というのを作りたい」——その言葉には、中学の生徒会から保育園ボランティア、SFCでの研究、そして社会人としての出発点までが、一本の線でつながっていることが感じられる。
受験生・保護者へ|「最初の一歩」と「人を頼る」ことが合格への近道
加藤心渚が総合型選抜を目指す後輩たちへ贈るメッセージは、3つのポイントに集約される。
まず、「自分にはできない」と思わないこと。
総合型選抜に必要な「活動実績」と聞くと、特別な才能や飛び抜けたスキルが必要に感じてしまう。しかし実際には、最初の一歩はコンクールや弁論大会の書類をプリントアウトすることから始まる。大きなゴールを見て立ちすくむのではなく、今日できる小さな行動に集中すること。「初めの一歩から、どんどん始めていくことによって、どんどん積み重ねていける」——加藤心渚自身がその言葉を体現してきた。
次に、一貫性のある実績を作ること。
「一貫性のある実績を作るっていうところです」と彼女が強調するように、バラバラな活動を積み上げても総合型選抜では評価されにくい。自分の研究テーマを早めに見つけ、そのテーマに沿った活動を選んでいくことが重要だ。保育園ボランティア、NPO活動、弁論大会、経営者インタビュー——加藤心渚のすべての活動が「ジェンダーと子ども」というテーマで貫かれていたからこそ、志望理由書と面接での語りに一本の筋が通った。
そして、最大限に人を頼ること。
「最大限たくさんの人たちを頼って」と加藤心渚は言う。1人で書類を作ると必ずどこかに盲点が生まれる。塾、親、高校の先生、NPO法人の理事長——多くの大人を巻き込み、客観的な視点からフィードバックをもらうことが、書類と面接の完成度を高める。特に、母親のサポートは「人生において大きな存在」と語るほど、加藤心渚の受験を支えた。Msコースを見つけて勧めてくれたのも、ワークショップへの参加を後押ししてくれたのも、視野を広げてくれた人間関係の中心に母親がいた。
保護者の方へ。総合型選抜は、子どもが「自分は何に関心があるのか」「なぜこの大学でなければならないのか」を徹底的に言語化する受験だ。その過程を一緒に歩む大人の存在が、合格を大きく左右する。子どもの「やりたいこと」に耳を傾け、行動を後押しすること——加藤心渚の合格の背景には、そうした環境があった。
「時間をかけたっていうところと、いろいろな人に相談させていただいた」——この言葉が、慶應SFC総合型選抜合格の本質を要約している。
高校生のうちに「研究テーマが見つからない」「自己分析がうまくできない」という悩みを抱える受験生は少なくない。しかし加藤心渚の体験が示すように、研究テーマは突然天から降ってくるものではない。自分がこれまで何に心を動かされ、何に怒りや疑問を感じてきたかを丁寧に掘り起こしていくプロセスの中で、少しずつ姿を現してくるものだ。モチベーショングラフを書くこと、親や信頼できる大人に「自分ってどんな子どもだった?」と聞くこと、そのような地道な作業が自己分析の起点になる。
総合型選抜は、試験一発勝負の入試ではない。高校3年間で積み上げてきた「自分」というものを、大学側に届ける入試だ。だからこそ、早く始めることの価値が大きく、そして多くの人を巻き込むことで質が高まる。塾のメンターに壁打ちをしてもらい、親に原稿を読んでもらい、高校の先生に推薦書を依頼し、NPOの理事長に客観的な評価を求める——そのすべてのプロセスが、合格という結果へとつながっていった。
「属性に関係ないんだなっていうことを、私はそこで学んだ」——加藤心渚がオーストラリアの留学先で感じたこの言葉は、彼女の高校時代からの問いへの一つの答えでもある。性別や出身地や育ちに関係なく、「やりたいこと」に向かって動いていい。総合型選抜という入試が、その第一歩を踏み出すきっかけになるかもしれない。

