Story
合格者のストーリー
「日本やべえな、来なきゃよかった」


小学5年生で来日した彼が、転校先の教室で一人ぼっちになった夜、本気でそう思ったという。日本語は一言も話せず、体育座りすらできない。誰の言葉も理解できないまま、ただ時間だけが過ぎていく。それから9年。趙淼(ちょう みょう)さんは、立教大学経営学部国際経営学科の学生として、外国人技能実習生の問題や自身のアイデンティティを研究している。
中国・河北省、万里の長城の隣で育った彼は、来日からわずか2〜3年で日本語を習得し、偏差値65の名城大学附属高等学校に進学。そして指定校推薦で立教大学へと合格した。その道のりは、語学のハンデや情報格差という逆境の連続だった。彼を支えたのは、たった一つの言葉だった。「俺はやり抜くぞ」。
この記事では、外国ルーツの受験生がどのように難関私大の指定校推薦を勝ち取ったのか、志望理由書をどう設計し、進路をどう判断したのかを、本人の言葉とともに追っていく。総合型選抜や指定校推薦を検討している高校生、そして外国ルーツや地方で情報の少ない環境にいる受験生にとって、確かなヒントが詰まっているはずだ。
万里の長城の隣から愛知へ|小学5年・日本語ゼロで始まった日本生活
趙さんが生まれ育ったのは、中国・河北省。万里の長城の隣という、雄大な風景の中の町だった。両親は彼が幼い頃に出稼ぎで先に日本へ渡り、彼は祖父母と暮らす「留守番児童」として育った。中国の小学校は厳しく、60点以下は前に立たされる赤点制度があり、彼自身は「50点くらいを取る、できない方の子」だったという。当時の彼は、まさかこの先、日本の難関私大に進むとは想像もしていなかった。
転機は2017年、小学5年生のときに訪れた。両親のいる愛知県へと渡り、日本での生活が始まったのだ。だが、待っていたのは強烈なカルチャーショックだった。日本語は全く話せない。学校の持ち物は習字道具に工具セット、裁縫セット、リコーダーと、彼の感覚では多すぎた。そして何より、日本独特の「体育座り」が物理的にできず、慣れるまでに2年もかかったという。
来日1年目は、珍しさもあって周囲も声をかけてくれた。しかし2年目になると、クラスメイトの好奇心は薄れ、彼は次第に孤立していく。言葉が通じない孤独の中で、彼は当時をこう振り返る。
「外側からの生きづらさは全然ないんですよ。むしろみんなめっちゃ歓迎してくれた」
差別された記憶はない、むしろ歓迎された——それでも苦しかった。その正体を、彼は「内側から来ているものが多くて」と表現する。誰かに何かをされたわけではない。ただ、言葉が通じず、文化が違い、自分だけが取り残されていく感覚。この「内側からの生きづらさ」こそが、のちに彼が外国人の課題と向き合う原点になっていく。
体育座りができなかった転校生
来日直後、彼が頼ったのは意外にも英語だった。日本語が話せない以上、片言の英語で身振り手振りを交えるしかない。だが、そこで彼はもう一つ驚く。日本の小学生の英語力が、想像以上に低かったのだ。コミュニケーションの糸口を探りながら、彼は孤独な日々を過ごした。
それでも彼は中国人コミュニティに閉じこもる道を選ばなかった。漢字が読めるという中国出身者ならではの強みを活かし、日本語の習得に没頭する。通常7〜8年はかかるとされる言語習得を、彼はわずか2〜3年で成し遂げた。体育座りができるようになる頃には、彼はもう「日本語ができない子」ではなくなっていた。逆境を、自分の努力で塗り替えていったのだ。
外国人だからこそ見えた課題|技能実習生支援という原体験
日本語を身につけ、学校生活にも馴染んでいった趙さん。しかし彼の中には、来日当初に感じた「内側からの生きづらさ」が、消えずに残り続けていた。自分は歓迎されていたのに、なぜこんなに苦しかったのか。その問いは、やがて自分以外の外国人へと向かっていく。
決定的だったのは、愛知県で日本語教室の活動に関わるようになってからだ。彼はそこで、建設業で働く外国人技能実習生を担当することになる。そして、彼らの賃金未払い問題に直面し、強い衝撃を受けた。短期研修のために来日したはずの実習生と、長期人材を求める企業との間に、根本的なズレがある——彼はこの構造的な問題に、当事者に近い目線で気づいてしまったのだ。
この体験は、彼の問題意識をくっきりと輪郭づけた。外国人が日本で直面する困難は、悪意のある差別だけではない。制度の隙間や情報の格差といった、見えにくい構造の中で生まれている。自分自身が「内側からの生きづらさ」を味わったからこそ、彼は技能実習生の苦境を他人事にできなかった。
外国ルーツという立場は、受験において弱みにもなりうる。だが趙さんは、それを「自分にしか語れない問題意識」という最大の武器に変えた。技能実習生というテーマは、後に彼の志望理由書の核となり、立教大学経営学部で学びたいことへと一直線につながっていく。当事者性を探究に転化したこと——これこそが、彼の合格を支える土台だった。
一人ぼっちと情報格差|受験を阻んだ二つの壁
趙さんの受験は、二つの大きな壁との戦いだった。一つは、来日2年目に経験した孤独。もう一つは、受験そのものを取り巻く「情報格差」だった。
中国から出稼ぎで来日した両親は、日本の大学受験の仕組みを知らない。父は中華料理人、母は元ホテル受付として懸命に働いていたが、指定校推薦も総合型選抜も、そもそも何が選択肢としてあるのかさえ、家庭の中に情報がなかった。彼はこう振り返る。
「努力の方向性も間違えたら、それは努力って言えない」
どれだけ頑張っても、向かう先を間違えれば結果は出ない。親も自分も受験を知らないという状況は、彼に常に「これで合っているのか」という不安を突きつけた。彼は人に言われたことをそのまま信じることをやめ、自分の頭で情報を集め、検証する習慣を身につけていった。
その不安が現実の事件として噴き出したのが、出願直前だった。志望理由書を800字だと思い込んで準備を進めていた彼は、出願のわずか1週間前に、実際の指定字数が600字であることに気づく。書き上げた文章を大幅に削り、構成を組み直さなければならない。彼は毎晩オールして、一文字ずつ言葉を削っていった。睡眠を削り、限界まで集中して仕上げた600字。情報格差という壁は、最後の最後まで彼を追い詰めたのだ。
それでも彼は折れなかった。むしろこの体験を通じて、「自分で確認しないと誰も助けてくれない」という受験の本質を学ぶ。情報が与えられない環境にいたからこそ、彼は誰よりも主体的に、誰よりも疑い深く、受験に向き合う力を手に入れた。
「日本やべえな」と思った夜
来日2年目、周囲の好奇心が消え、一人ぼっちになった頃。彼の心には「日本やべえな、来なきゃよかった」という後悔がよぎった。言葉が通じず、友達もできず、自分の居場所がどこにもない。多くの転校生がそうであるように、彼もまた、消えてしまいたいような孤独の中にいた。
だが彼は、その後悔のすぐ隣に、別の言葉を置いた。「いや、でも俺はやり抜くぞ」。逃げ出したい気持ちと、やり遂げたい意志。その二つがせめぎ合った夜が、彼の原点になった。この「やり抜く」という決意は、日本語の習得にも、技能実習生支援にも、そして受験にも、一貫して流れ続けることになる。逆境のどん底で芽生えた一言が、9年後の合格を支えていたのだ。
日本語教室を立ち上げる|当事者から支援者への挑戦
趙さんの活動の中心にあったのは、愛知県でNPO(一般社団法人)とともに立ち上げた日本語教室だ。彼はこの教室の運営と指導に、2年間にわたって携わった。かつて日本語ゼロで苦しんだ少年が、今度は教える側、支える側に回ったのだ。
この活動の中で、彼は前述の技能実習生の賃金未払い問題に直面する。教える対象だった実習生たちが、不当な労働環境に置かれている現実。彼はそこで、ただ語学を教えるだけでなく、外国人が日本社会でどう扱われているかという構造そのものに目を向けるようになった。当事者だった自分が、今度は当事者を支える立場で、社会の歪みを見つめる——この経験が、彼を単なる「日本語ができる外国人」から「社会課題に取り組む探究者」へと変えていった。
日本語教室の活動だけではない。彼は全国英語スピーチコンテストでTOP30に入り、京進の全国英語スピーチコンテストでは準決勝に進出。インドネシアへの1週間のホームステイ、モノコトイノベーションプログラムやEGGプログラムへの参加、マイプロジェクトでの地方賞受賞と、活動の幅を大きく広げていった。中国語・日本語・英語の3か国語を操る彼にとって、これらの活動は語学力を社会への貢献に変える舞台でもあった。
ここで重要なのは、活動が散発的でないことだ。日本語教室も、技能実習生支援も、英語スピーチも、すべてが「外国人と日本社会の架け橋になる」という一本の軸でつながっている。バラバラの実績を並べるのではなく、一貫したストーリーとして語れること——これが、推薦入試で評価される活動実績の条件だ。趙さんは、当事者としての痛みを、社会を動かす活動へと昇華させた。
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上智の総合型から立教の指定校へ|進路を切り替えた戦略的判断

実は、趙さんが最初に目指していたのは立教大学ではなかった。当初の第一志望は、上智大学法学部。総合型選抜での合格を狙い、志望理由書の準備も進めていた。だが、高校3年の夏休み明け、彼の進路は大きく動く。
きっかけは、関係の良かった学校の先生からの一言だった。「上智の法学部は難しい。経営学部の方が、君に合っているのではないか」。そして提示されたのが、立教大学経営学部国際経営学科の指定校推薦という選択肢だった。指定校推薦は出願すれば他大学を受験できなくなるが、校内選考を通れば合格はほぼ確実。8月の校内選考に通った彼は、第一志望への挑戦を続けるか、確実性を取るかの判断を迫られた。
彼が選んだのは、後者だった。その判断軸を、彼は経営学部らしい言葉で語る。
「リターンオブインベスト、やっぱり経営学部なんで」
投資に対する見返り——つまり、自分が注ぐ努力や時間に対して、最も合理的なリターンが得られる道はどれか。彼は感情で第一志望に固執するのではなく、冷静に費用対効果を計算した。そして、立教経営学部のGBI(グローバルビジネスイニシアティブ)やBLP(ビジネスリーダーシップ)といった独自のプログラムが、自分のやりたい研究に合致していることを確かめた上で、指定校推薦という確実な道を選んだのだ。
この判断には、彼の探究テーマとの一貫性も大きく関わっていた。技能実習生と中小企業のニーズのズレをどう埋めるか——この問いを解くには、法学よりも経営学の方がふさわしい。立教のGBI理論を使えば、賃金未払い問題を防ぐ経営方針へと転換できるのではないか。志望理由書に込めたこの構想が、立教経営学部という選択を、単なる妥協ではなく必然へと変えていた。
確実性を取るか、第一志望に賭けるか
第一志望を諦めることに、葛藤がなかったわけではない。総合型選抜のために積み上げてきた準備、上智への憧れ。それを手放すのは簡単なことではない。だが彼は、「誰もやらないことをやれば、だいたい人生ではうまくいく」という信念を持ちながらも、ここでは無謀な賭けに出なかった。
合格の確実性、学びたい内容との合致、そして自分の研究テーマを最も活かせる環境。これらを天秤にかけたとき、立教経営学部の指定校推薦は、彼にとって最もリターンの大きい選択だった。第一志望に固執して全てを失うリスクより、確実に学びたい環境を手に入れる道を取る。この冷静な判断力こそ、彼が受験で見せた最大の強みだったのかもしれない。
思考停止しない受験|志望理由書と情報収集の戦略
趙さんの受験戦略を一言で表すなら、「思考停止しない」だ。彼はこの言葉を、受験生へのメッセージとして繰り返し口にする。塾や先生のアドバイス、ネットの情報——それらを鵜呑みにせず、常に「本当にそれでいいのか」と問い直す姿勢こそが、情報格差を埋める唯一の方法だった。
指定校推薦の条件は、評定平均と英検準1級。彼は評定4.0以上を維持し、英検準1級を取得して、出願資格をしっかりと押さえた。指定校推薦は書類審査が中心で、提出するのは志望理由書600字と調査書。だからこそ、限られた字数の志望理由書に全てを込める必要があった。
情報収集においても、彼は徹底していた。一般入試対策の段階では、武田塾や森田先生、コマーシンといったYouTubeチャンネルで参考書ルートを研究し、計画的に勉強を進めた。だが彼は、ネットの情報を信じきることへの危うさも痛感していた。
「参考書ルート鵜呑みにしないでください」
情報は集める。だが、それが自分に合っているかは自分で判断する。模試の振り返りを怠らず、何かを始める前には紙に自分の意見を書き出す。彼は受験を通じて、「考えることを繰り返す」という習慣を磨き上げた。情報が与えられない環境にいたからこそ、彼は誰よりも能動的な受験生になれたのだ。
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志望理由書600字に込めた「問題→解決→学び」の型
趙さんの志望理由書は、明確な型に沿って組み立てられていた。それは「自分の経験→問題意識→頑張った内容→結果→失敗からの学び→大学での学習計画」という流れだ。彼はこの型を使い、技能実習生支援という体験を、立教で学びたいことへと一本の線でつないだ。
具体的には、日本語教室で技能実習生の賃金未払い問題に衝撃を受けたという経験から書き起こす。次に、その原因を「実習生と企業のニーズのズレ」と分析し、解決策として立教のGBI理論に注目する。そして、GBI理論を深く学び、経営戦略論も加えて、技能実習生と企業の双方が満たされる経営手法を研究したい——という学習計画へと着地させた。導入期・形成期・完成期と段階的に学びを設計し、ゼミや卒論演習まで見据えた構成は、読み手に強い説得力を与えた。
彼は総合型選抜用の志望理由書も並行して準備しており、「どこにでも出せる」状態を作っていた。テーマと型さえ固まっていれば、字数や形式が変わっても応用が利く。問題意識を起点に、解決の構想と学びの計画へとつなげる——この型は、指定校推薦でも総合型選抜でも通用する、再現性の高い設計図だった。
受験生・保護者へのメッセージ|「思考停止しないでください」

最後に、趙さんが受験生と保護者へ伝えたいことを聞いた。彼の言葉は、彼自身が逆境の中で掴んだ哲学そのものだった。
彼が何より強調するのは、「思考停止しないでください」ということ。人のアドバイスを、そのまま正解だと思い込まないでほしい。先生や塾、ネットの情報も、「本当にそれでいいのか、なぜ今それがいいのか」と自分に問い直す。彼自身、参考書ルートを鵜呑みにせず、自分の頭で考え抜いたからこそ、情報の少ない環境を乗り越えられた。「絶対に考えてください」——それが、彼が後輩たちに残す一番のメッセージだ。
外国ルーツの受験生や、地方で情報が手に入りにくい受験生に向けては、彼の経験そのものが希望になる。日本語ゼロで来日した彼が、9年で立教大学にたどり着けたのだ。情報格差は確かに存在する。だが、ネットを駆使し、自分で考え、誰かを頼りながら埋めていくことはできる。塾について彼は「必ずしも必要ない」とも語るが、それは「研究計画書の書き方を学び、学術知識を蓄え、添削してくれる人がいる」という条件が自力で満たせる場合の話だ。その環境が身近にないなら、プロの力を借りることは、情報格差を埋める確実な手段になる。
保護者へは、子どもの「やり抜く力」を信じてほしいというメッセージを送りたい。趙さんの両親は受験の仕組みを知らなかったが、教育には熱心で、彼の挑戦を支え続けた。親が全てを知っている必要はない。子どもが自分で考え、道を切り拓くのを見守ること。それだけで、子どもは「俺はやり抜くぞ」と前に進める。趙さんは今、立教経営学部で外国人児童を救う教育ビジネスを夢見ている。一人ぼっちだったあの転校生は、誰かの居場所を作る人になろうとしている。

