Interview Feature / 合格者インタビュー

IB認定校から立教大学へ|塾なし3ヶ月・探究活動で挑んだ総合型選抜

立教大学 文学部 史学科 総合型選抜合格 / 西パプア紛争研究を武器にした受験

香港での原体験からインドネシア地域研究にのめり込み、高校生で東南アジア学会の発表に立つ。IELTS失敗・上智不合格という挫折を越えて総合型選抜を突破するまでのリアルな記録。

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IB認定校から立教大学へ|塾なし3ヶ月・探究活動で挑んだ総合型選抜
出身高校
昌平高校(IBコース)
合格先
立教大学 文学部 史学科
入試方式
総合型選抜
準備期間
約3ヶ月(本格準備・塾なし)

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Contents

この記事でわかること

リアルなストーリー

IB認定校から立教大学文学部史学科の総合型選抜に合格するまでの全軌跡。香港での原体験、西パプア研究、上智不合格からの立て直しを追う。

探究活動の作り方

地域紛争という社会課題を軸にした探究活動の作り方と、学会発表・Extended Essayを受験実績へ変えるプロセス。

志望理由書の秘訣

塾なし・約3ヶ月で仕上げた志望理由書・面接・小論文の具体的な対策。複数人添削と教授研究がなぜ効いたか。

受験戦略と面接対策

第一志望不合格から立て直し、倍率と教授の研究分野を見て4校に絞った併願戦略の考え方。

こんな人におすすめ

  • 立教大学など私立大の総合型選抜を目指している高校生・保護者
  • 探究活動や研究発表を大学受験に活かしたい高校生
  • IB・国際系カリキュラムで一般入試以外の進路を考えている人
  • 塾なしで総合型選抜に合格できるか知りたい受験生・保護者

Key Points

今回の合格を支えたポイント

01

Point 01

社会課題を継続テーマにした

西パプア紛争という地域研究を高校から一貫して掘り下げ、学会発表とExtended Essayという実績に結晶させた。総合型選抜が評価する「継続と深化」の条件を満たしていた。

02

Point 02

挫折を成長ストーリーに変えた

IELTSのパスポート忘れや上智不合格を振り返り、準備不足の反省と学びを言語化。「準備は早く、対策は絞りすぎず、書類は複数人に見せる」という教訓へ変えた。

03

Point 03

戦略的に志望校を絞った

倍率と教授の研究分野を一校ずつ調べ、勝率のある4校に集中して出願。第一志望に固執せず、やりたい研究が実現できる大学を現実的に見極めて複数合格を掴んだ。

Profile

合格者プロフィール

田中 大翔
「「今までの積み重ねが勝因」」

田中 大翔

たなか ひろと

出身高校
昌平高校(IBコース)
合格大学・学部
立教大学 文学部 史学科
入試方式
総合型選抜
第一志望
上智大学 総合グローバル学部
英語資格
IELTS 5.5 / 英検2級
最終評定平均
4.0以上
部活
無(一度入部後に退部)
準備期間
約3ヶ月(本格準備)
西パプア紛争研究 東南アジア学会発表 Extended Essay執筆 日本語教育ボランティア
💬

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Story

合格者のストーリー

「机に向かって知識を一方的に受け取る授業が、どうしても好きになれなかった」——そう振り返る田中大翔さん(仮)は、幼少期を香港で過ごし、帰国後は自分の頭で考える学びを求めてIBコースのある私立高校を選んだ。パイロットに憧れていた少年は、やがてインドネシア西パプアの紛争研究にのめり込み、高校生でありながら東南アジア学会の発表の場に立つ。

だが総合型選抜への道は平坦ではなかった。IELTSの会場にパスポートを忘れて受験料2万円を失い、英検準1級には落ち、第一志望の上智大学では小論文で絶望した。それでも彼は塾に一切通わず、約3ヶ月の集中準備で立教・法政・東洋の合格を勝ち取る。

この記事では、探究活動をどう受験実績へ変えたのか、志望理由書と面接をどう準備したのか、そして第一志望不合格からどう立て直したのかを、本人の言葉とともに追う。総合型選抜を探究活動で突破したい高校生と、その保護者に読んでほしいリアルな合格体験記だ。

香港で芽生えた「外国人と話す楽しさ」— 机に向かう勉強が嫌いだった少年がIB校を選ぶまで

田中さんの原点は、日本ではなく香港にある。父親のIT関連の仕事の都合で、幼稚園から小学校低学年までを香港で過ごした。最初はインターナショナルの幼稚園に通ったものの、英語がまるで話せず、友だちの輪にうまく入れない日々が続いた。

それでも状況を変えたのは、周囲の子どもたちの態度だった。言葉が通じないにもかかわらず、香港の子どもたちは分け隔てなく接してくれた。その体験は、幼い田中さんの中に一つの感覚を残す。

外国人との関わりを、彼はこう表現する。「外国人と話すことが楽しいなと思うようになった」。言語の壁を越えて人とつながれたこの実感が、後の地域研究への関心の土台になっていく。小学3年生で帰国し、香港では日本人学校にも通った経験が、国内と海外の両方の視点を彼に与えていた。

帰国後、田中さんは一度は中学受験を志して塾に通う。しかしそこで直面したのは、自分の学びのスタイルとのズレだった。「机に向かっている勉強がつまらない」と感じ、受験そのものを断念してしまう。暗記中心の勉強に、どうしても身が入らなかったのだ。

この違和感は、高校選びで明確な意思へと変わる。「黒板に向かって知識を享受される授業が好きじゃない」「自分から話して、自分の考えを深められるような授業を受けたい」。その願いに合致したのが、ディスカッションとレポート課題を軸にする国際バカロレア(IB)のカリキュラムだった。覚えることよりも考えることが多いこの環境なら、自分は伸びられる——そう直感して、田中さんは普通科とIBコースを併設する私立高校を選ぶ。

海外大学進学やIB進学をめぐっては、家庭で意見がぶつかることもあった。それでも最終的に両親は「なんでもやってみないとわからないよ」というオープンな姿勢で息子を後押しした。この一言に象徴される家庭の空気が、彼の挑戦を根っこで支え続けることになる。受け身の勉強から抜け出したいという10代の直感が、総合型選抜という進路への最初の伏線だった。

西パプア紛争との出会い — パイロット志望から研究者・記者へ

高校に入った当初、田中さんが思い描いていた将来はパイロットだった。空への憧れと海外への関心が重なった、いかにも少年らしい夢である。だがIBの探究活動に本格的に取り組むうちに、その輪郭は大きく描き替えられていく。

転機は、世界のニュースを追う中で訪れた。パレスチナ問題をはじめ地域紛争の報道が相次いだ時期、田中さんはふと「インドネシアでも紛争があったのだろうか」と疑問を持つ。調べてみると、紛争地は複数存在した。その中から彼が選んだのが、インドネシア東部の西パプア地域で今なお続く紛争だった。

パレスチナ報道から始まった「もう一つの紛争」への問い

日本ではほとんど報じられない西パプアの状況を、田中さんは文献をたどりながら少しずつ解きほぐしていった。なぜ紛争が起き、なぜ長期化しているのか。その要因を掘り下げる作業は、彼にとって「つまらない勉強」の対極にあった。

研究にのめり込む感覚を、彼はこう語る。「研究していくうちに、だんだん興味が湧いていった」。誰かに与えられたテーマではなく、自分の問いから始まった探究だからこそ、止まらなくなったのだ。この没入は、進路そのものを動かすほどのエネルギーを持っていた。

やがて田中さんの志望は、パイロットから「研究者、あるいは外国に行って世界情勢を発信できる記者」へと切り替わる。東南アジアで起きていることを日本や世界に伝えたい——そんな使命感が芽生え、大学で地域研究や文化人類学を学ぶという具体的な目標に結晶していった。文学部史学科という選択は、この問題意識から自然に導かれたものだった。国際情勢への関心と、自分の言葉で伝えたいという欲求。この二つが交わった地点に、彼の受験の軸は定まっていく。

パスポート忘れ、英検不合格、上智の絶望 — 総合型選抜を阻んだ三つの壁

探究に打ち込む一方で、受験そのものは想像以上に過酷だった。田中さんの高校3年の秋は、IBの最終課題とIB認定試験、そして大学の総合型選抜が10月後半に一気に押し寄せる「一番忙しかった」時期だった。IB認定が取れなければ、たとえ大学のIB入試に受かっても入学できない。最悪の場合は中卒扱いになりかねないという不安が、常に背中に張りついていた。

つまずきは、まず英語の外部試験で起きた。IELTSを初めて受けようとした日、田中さんは会場にパスポートを忘れて受験できなかった。「2万円ぐらいの受験料が飛んじゃった」——痛恨のミスである。時間的にも金銭的にも余裕のない受験期に、この失敗は重くのしかかった。さらに英検も、2級には合格したものの準1級は一次で振るわず不合格。数字の資格を積み上げる段階から、彼はつまずいていた。

そして最大の壁が、第一志望だった上智大学だ。インドネシアの地域研究が盛んな大学として強く志望していたが、小論文対策を始めたのは本番の約1ヶ月前。「ギリギリだった」と本人も認める短期勝負だった。

第一志望・上智で味わった小論文の絶望

本番当日、準備不足はそのまま結果に表れた。小論文で思うように書けず、田中さんは試験の最中から手応えのなさを痛感していた。その動揺は続く面接にまで尾を引く。

そのときの心境を、彼は率直に振り返る。「小論文でうまくいかなくて絶望していた」。第一志望への思い入れが強かったぶん、崩れたときの落差は大きかった。結果は不合格。集団面接では、最初の数人がほとんど答えられず「この人やばいな」と内心思う場面もあったというが、自分自身も万全とは程遠かった。

しかしこの絶望は、終わりではなく修正点の発見でもあった。準備は早く始めるべきだった、対策は一つに絞りすぎてはいけなかった——上智での失敗が突きつけた反省は、残る出願校への戦い方を根本から鍛え直すことになる。

高校生で東南アジア学会へ — 探究活動を「武器」に変えた研究の日々

田中さんの受験を支えた最大の資産は、資格でも小論文の速さでもなく、高校時代を通じて積み上げた探究活動そのものだった。西パプア紛争の要因研究というテーマを、彼は思いつきで終わらせず、文献調査を重ねながら一つの研究成果へと育てていった。

その到達点の一つが、IBの課題論文であるExtended Essayだ。卒業論文に近いこの長文課題で、田中さんは西パプア紛争を正面から論じた。テーマ設定から資料収集、論の組み立てまでを一人でやり抜いた経験は、単なる提出物を超えて、彼の思考力と継続力を証明する実績になった。

Extended Essayが受験の核になった理由

研究は教室の外へも広がった。田中さんは高校生も参加できる学会発表の機会を見つけ、自ら手を挙げて研究を発表しに行く。専門家や大学生が集う東南アジア学会の場に、高校生として立ったのだ。

この経験の意味を、彼は淡々と語る。高校生向けの学会があると知り「自分も研究発表しに行った」。派手な武勇伝としてではなく、やりたいことを是が非でもやる性格の延長として、当たり前のように行動へ移していた。だが総合型選抜の視点で見れば、この一歩は決定的だった。研究の継続性、学会という外部の場での発表実績、そしてそれを支えるExtended Essay——高校時代の点が線でつながり、「探究を大学で続けたい」という志望動機に確かな裏づけを与えていた。

机に向かう勉強が嫌いだった少年が、気づけば自分の研究を人前で語る側に回っていた。このギャップこそ、彼のストーリーを説得力あるものにしている。

IELTS5.5・4校集中 — 志望理由書と面接の受験戦略

上智での失敗を経て、田中さんの受験は「戦略」の色を濃くしていく。塾には一切通わない。その代わり、限られた時間とリソースをどこに集中させるかを徹底的に考えた。まず英語外部試験は、高校教員のすすめもあり、英検より取りやすく結果が数日で出るIELTSに切り替える。8月末に受験して5.5を取得し、出願にぎりぎり間に合わせた。パスポート忘れという失敗を糧に、今度は段取りで乗り切った。

出願校は、最終的にわずか4校に絞り込んだ。数を撃つのではなく、倍率と、自分のやりたい分野に合う教授がいるかを一校ずつ調べ、勝率のある大学を見極める。立教大学文学部史学科は、地域文化学の分野で自分の研究が続けられると判断して選んだ一校だった。

志望理由書は「1人に見せない」

志望理由書では、田中さんは自分の強みを正面から押し出した。研究大会での発表実績、Extended Essayを書き上げた経験——積み上げてきた研究の軌跡を、そのまま出願書類の核に据えたのだ。さらに志望する教授の著書や論文を読み込み、その内容を書類に反映させることで、「なんとなく」ではない志望動機に仕上げた。

そして彼が繰り返し強調するのが、添削の受け方だ。「1人に見せるんじゃなくて、複数人に見せて添削してもらう」。塾がない分、高校の複数の教員に見てもらうことで、独学の死角を潰していった。一人の視点に頼らないこの姿勢が、書類の完成度を底上げした。

「なぜその学部か」に本質で答える

面接対策では、田中さんは「なぜその学部なのか」という問いを最重要ポイントとして準備した。この質問は「絶対に聞かれる」と踏み、表面的な志望理由ではなく、自分の研究と学部の学びがどうつながるかを本質から語れるよう練り込んだ。

準備の勘所を、彼はこう言い切る。「本質を捉えた答え方をしないといけない」。小論文は赤本の過去問を解き、高校の先生に全てチェックしてもらう。上智で「1ヶ月前ではギリギリだった」反省を活かし、他校では前倒しで対策を進めた。圧迫的な雰囲気の面接でも冷静に答えることを心がけ、崩れないメンタルを準備段階から作っていった。塾なしでも、戦略と他者の力を組み合わせれば戦える——その実感が、彼の受験を支えていた。

塾なし・3ヶ月で立教に合格した本当の理由 — 合格要因の分析

結果として、田中さんは立教大学文学部史学科をはじめ、法政大学人間環境学部、東洋大学社会学部国際社会学科に合格した。第一志望の上智には届かなかったが、塾に通わず、本格的な準備は約3ヶ月という条件を思えば、十分すぎる成果である。ではなぜ、彼は勝てたのか。要因は大きく三つに整理できる。

第一に、研究テーマの一貫性だ。西パプア紛争という社会課題を高校時代から掘り下げ、Extended Essayと学会発表という形で実績化した。総合型選抜が評価するのは、思いつきの活動ではなく、継続と深化の跡である。田中さんの研究はまさにその条件を満たしていた。彼自身、勝因を問われて端的にこう答える。「今までの積み重ねが勝因」。

第二に、戦略的な志望校選びだ。倍率と教授の研究分野を調べ、勝率のある4校に絞る。第一志望に固執せず、自分のやりたいことが実現できる大学を現実的に見極めたことが、複数合格につながった。上智で味わった「一点集中の危うさ」が、この冷静な判断を生んだとも言える。

第三に、環境とサポートの活用だ。IBコースには総合型選抜に精通した教員がいて、その手厚いサポートを田中さんは最大限に使った。志望理由書の複数人添削も、小論文の教員チェックも、この環境があってこそ機能した。塾なしという言葉は「孤独な独学」を意味しない。使える環境を見極めて使い倒す力もまた、彼の実力だった。挫折を反省に変え、積み重ねを実績に変え、環境を武器に変える——この三つの変換が、彼の合格の芯にある。

受験生と保護者へ — 「今までの積み重ねが勝因」

最後に、田中さんの歩みから受験生と保護者へのメッセージを整理したい。総合型選抜を考える人にとって、彼の経験は具体的なヒントに満ちている。

受験生にまず伝えたいのは、日々の積み重ねが最後にものを言うということだ。田中さんは特別な才能で一発逆転したわけではない。西パプア研究を高校時代を通じて続け、その厚みが志望理由書と面接を支えた。今から始める探究や活動が、数ヶ月後の自分の武器になる。そして失敗を過度に恐れないこと。IELTSのパスポート忘れも、英検準1級の不合格も、上智の絶望も、彼はすべて次の一手の材料に変えた。挫折は、そこから何を学ぶかで意味が変わる。準備は早く、対策は一つに絞りすぎず、書類は複数人に見てもらう——この三つは、彼が失敗の代償として掴んだ実践的な教訓だ。

保護者に向けては、二つ伝えたい。一つは、塾なしでの合格は十分に現実的だということ。田中さんは塾に一切通わず、高校のサポートを活用して難関大の合格を掴んだ。もう一つは、子どもの「やりたい」を尊重する姿勢の価値だ。海外進学やIB進学をめぐって家庭で意見がぶつかっても、最終的に両親は「なんでもやってみないとわからない」と息子の挑戦を後押しした。この信頼が、彼が困難のなかでも自分の軸を保てた理由の一つだった。

進路の主役は、あくまで本人だ。「自分のいる環境でどこまで最大限やりたいことができるか」——立教という選んだ場所で研究を続ける田中さんの前向きな言葉は、総合型選抜に挑むすべての人に通じる。積み重ねを信じ、失敗を学びに変え、環境を活かす。その先に、彼のような合格の景色が待っている。

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Story Timeline

原体験から合格までの軌跡

原点となる体験

幼少期〜中学

香港で芽生えた国際感覚

香港での幼少期。言語が通じない中で現地の子と交流し「外国人と話すのが楽しい」という感覚が芽生えた。

最大の転機

高校1〜2年

西パプア紛争との出会い

地域紛争報道からインドネシア西パプア紛争の研究へ。パイロット志望から研究者・記者志望に転換した。

実績のピーク

高校2〜3年

東南アジア学会で発表

西パプア紛争のExtended Essayを執筆し、高校生として東南アジア学会で研究発表を行った。

合格

高校3年・受験期

塾なしで難関私大に合格

塾なし約3ヶ月の準備で立教・法政・東洋に合格。文学部史学科で地域研究を続ける道を掴んだ。

Message

塾長からのメッセージ

上林山 大吉

上林山 大吉

慶教ゼミナール 塾長

京都大学経済学部に総合型選抜で合格。自身の経験をもとに、受験生一人ひとりの「言葉」を磨くサポートを行っています。

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