Story
合格者のストーリー
新しい環境に飛び込みたい
その一言から始まる物語がある。
兵庫県の私立・滝川第二高等学校で美術部に所属していた山本ののかさんは、塾を一切使わず、完全独学で同志社大学商学部の総合型選抜(AO入試)に合格した。さらにその冬、再燃した憧れを胸に挑んだ慶應義塾大学環境情報学部の一般入試にも合格を果たしている。
国公立志望が大半を占める高校で、私立専願として教科を絞る道を選んだ彼女は、進路の孤独と独学の不安を抱えながら、TOEFL iBT 90点取得を目指す海外大学準備と評定維持を並行させた。さらに、神戸市ワークキャンプや子ども食堂、認定こども園でのボランティアを通じて子ども教育の課題に向き合い、最終的には地域型の絵画教室を自ら立ち上げている。
「アート思考が、今の時代にはすごく大事だと思っていて」。0から1を生み出す発想力を子どもたちに伝えたいという原体験は、同志社AO入試の志望理由書、そして慶應SFCの小論文へとつながっていった。
本記事では、塾なし・完全独学で同志社大学商学部AO入試&慶應SFC環境情報学部のW合格を勝ち取ったストーリーと、彼女が実践した志望理由書・小論文・面接対策、そして「独学はそこまでおすすめできない」と語る理由までを徹底的に紐解いていく。
滝川第二高校時代の背景|美術部とイギリス留学が広げた世界
彼女のストーリーは、神戸の住宅街と、高校1年で訪れた海の向こうの3週間――この2つの場所をつなぐところから始まる。アート、英語、そして「外の世界」への憧れが、後の総合型選抜と一般入試という二つの挑戦の原点になっていく。
絵を描き続けた幼少期から美術部へ
神戸の街で生まれ育った彼女にとって、絵を描くことは幼い頃から「自然な日常」の一部だった。
絵を習い始めたのは小学校に上がる前後。とはいえ、受験用の本格的な絵画特訓を受けたわけではなく、画用紙の上に好きなだけ色を重ねていく時間そのものを楽しんでいた。本人いわく、「特別な才能のために訓練していた」というよりも「ただ好きで描き続けていた」という感覚に近い。
兵庫県の私立、滝川第二高等学校に進学してからは、迷わず美術部を選んだ。文系コースで国語や英語を中心に学びながら、放課後は美術室で絵筆を握る。学校全体としては地方国公立志望の生徒が多数派で、教科を絞った受験勉強をする生徒は少数派だったが、彼女はそうした空気の中でも自分のリズムを崩さなかった。
「絵を描くのが得意」というシンプルな自己認識は、後に地域型絵画教室の立ち上げや、同志社大学AO入試で書き込む志望理由書のキーワード――「アート思考」「0から1を生む発想力」――の根に静かに根を張っていく。
高1のイギリス留学で出会った多様な価値観
転機は高校1年生に訪れた。3週間という短期間ではあったが、彼女はイギリスへの留学に飛び込む。
現地のプログラムで出会ったのは、世界中から集まった同世代だった。「将来は女優になりたい」「医者を目指している」――目を輝かせながら自分の夢を語る彼ら彼女らの姿は、神戸という限られたコミュニティで育ってきた彼女に、強烈なインパクトを残した。日本で「将来何になりたい?」と聞かれてもピンと来なかった同級生たちの顔を思い出しながら、彼女は自分が「狭い世界」の内側に閉じこもっていたことに気づかされていく。
「新しい環境に身を置きたかった」
帰国後、彼女の中で芽生えたのはシンプルな衝動だった。同じような環境、同じような価値観の人たちの中にいるだけでは、自分は変わらない。海外大学進学を本気で視野に入れ始めたのもこのタイミングだ。TOEFLの学習を生活に組み込み、評定維持、美術部、ボランティアという複数の軸を並走させる日々が始まる。
3週間のイギリス体験は、後の絵画教室立ち上げの動機にも、AO入試の志望動機にも、ずっと「核」として残り続けることになった。
「アート×教育」という原体験|0から1を生む発想力への確信
「アート」と「教育」――一見遠く見える二つの言葉が、彼女の中でしっかりと結び付いたのは、高校時代の課外活動の積み重ねによってだった。教室の中ではなく、子どもたちと過ごす現場で、彼女の問題意識は少しずつ輪郭を帯びていく。
神戸市ワークキャンプとボランティアで気づいた教育の課題
高校に入ってからの彼女は、外に出ていくことを意識的に選んでいた。
最初の入り口になったのは、神戸市が主催するワークキャンプだった。地域の課題に高校生が向き合うこの取り組みをきっかけに、彼女は子どもたちと関わるフィールドに次々と足を踏み入れていく。認定こども園でのボランティア、子ども食堂、無料学習支援を行う学童――活動領域は徐々に広がり、子どもの教育や福祉に関わる現場を多面的に経験していった。
そこで見えてきたのは、「学校の中だけでは届かない教育の課題」だった。家庭環境の違い、学習機会の差、そして「考える力」を育てる時間そのものの少なさ。もともと子ども好きだったという素直な動機から始まったボランティアは、いつの間にか「自分はこの領域で何ができるのか」という問いに変わっていった。
絵が得意で、子どもが好き。この二つを単なる長所として並べておくのではなく、社会の課題と組み合わせる視点――それが彼女の中で形になり始めた瞬間でもあった。
アート思考が子どもの未来を変えるという仮説
ボランティアの現場で過ごす時間が増えるほどに、彼女の関心は「教える内容」よりも「考え方の育て方」へとシフトしていった。
そこで彼女が手にしたキーワードが「アート思考」だった。アートやデザインの世界で語られる、自分の問いから世界を捉え直し、まだ存在しない答えを生み出していく発想法。「0から1を考えるアイデアを生み出す考え方」と本人が表現するこの思考法こそ、これからの時代の子どもたちに必要なものではないか――そんな仮説を、彼女は自分なりに言語化していった。
「アート思考は、今の時代にすごく大事だと思っていて」
この言葉は単なる思いつきではなく、ボランティア現場での観察と、自分自身の創作経験の双方から導かれたものだった。マニュアル通りの正解を当てる教育ではなく、白いキャンバスに自分の問いを描き出す力。彼女は、芸術教育の形態そのものが子どもたちの考え方の発達にどう影響するのかという、一段深い問いに踏み込んでいくことになる。
この問いが、後の地域型絵画教室の立ち上げに直結していった。
独学・地方・私立専願|進路の孤独と評定維持の両立
華やかなボランティア活動や絵画教室立ち上げの裏側で、彼女は深い孤独を抱えていた。神戸という土地、地方国公立志望が多数派の高校、そして塾を使わない完全独学という選択。三重に「少数派」を引き受けた高校3年間は、外から見えるよりずっと不安に満ちた時間でもあった。
国公立志望の同級生たちの中で感じた進路の孤独
滝川第二高等学校は、地方国公立大学を志望する生徒が多数派の学校だった。先生も生徒も「5教科をバランスよく」という空気を共有していて、教科を絞って私立専願を貫くのは少数派の選択だ。
彼女が選んだのは、まさにその「少数派」のルートだった。海外大学進学を視野に入れながら、国内私立の総合型選抜と一般入試を並行する戦略。教室で交わされる「共通テスト対策」「国公立二次の数学」といった会話に、自分の受験計画はうまく重ならない。
「学校の中で国公立志望が多くて、私立専願で教科を絞る勉強法は少数派でした」
進路を語り合える相手が周囲に少ないということは、想像以上にメンタルを削っていく。同じ教室で勉強していても、見ている景色が違う。受験戦略の話題で盛り上がる輪に自然に入れない。「自分の選択は正しいのだろうか」という問いが、ふとした瞬間に頭をよぎる。
それでも彼女は、自分のリズムを崩さなかった。文系科目、TOEFL、評定維持、ボランティア、絵画教室。ペースは違っても、自分のフィールドで前進し続けることだけが、孤独を打ち破る唯一の方法だと知っていたからだ。
「客観視できる人がいない」独学の不安と運の要素
さらに彼女を悩ませたのが、塾なし・完全独学という選択がもたらす情報と評価の不確実さだった。
ネットで集めた過去問やYouTubeの解説、無料リソースで勉強を進めることはできる。だが、自分の答案や志望理由書のドラフトを、信頼できる第三者に客観的に評価してもらう機会は圧倒的に少ない。学校の先生のサポートに頼ることはできても、相性や専門性は学校ごと、先生ごとに大きく差が出る。
「独学は、運の要素が大きすぎる」
この感覚は、合格してなお消えなかった。彼女が後に「独学はそこまでおすすめできない」と断言する理由の出発点が、ここにある。
地域型絵画教室の立ち上げ|アートと教育を融合させた挑戦
「もっと、自分の手で動かしたい」。ボランティア活動を続けるなかで膨らんだその気持ちを、彼女は形にすることに決める。それが、地域型の子ども向け絵画教室の立ち上げだった。これまでの活動の延長線でも、誰かの真似でもない、自分発の挑戦だった。
「子ども好き×絵が得意」を組み合わせて生まれた教室
構想のスタートはとてもシンプルだった。「子どもが好き」「絵を描くのが得意」――この2つの自己理解を、もう一段深く組み合わせられないか。ボランティア現場で見てきた教育課題と、自分の創作経験。これまで別々の引き出しに入っていた要素を、彼女は一つの机の上に並べ直した。
そこから生まれた答えが、地域型の絵画教室だった。既存の絵画教室のように「上手に描けるようになる」ことだけを目的にするのではなく、子どもたちが自分なりの問いを見つけ、絵という言語で表現することを支援する場にしたい。場所の確保、参加者の集め方、当日の進行、教材の用意――高校生の身でゼロから動かせる範囲を見極めながら、彼女は一つひとつのピースを組み立てていった。
「子どもの教育と、自分がもともと得意だったことを組み合わせた」
シンプルな一言の裏には、相当量の段取りと試行錯誤が詰まっていた。
アート思考を養う教育方法の実践と試行錯誤
教室を始めてからは、毎回が実験の連続だった。
最初は「テーマ画」に近い形で始めたが、子どもたちが本当に夢中になるのは、自由度の高い課題を投げかけたときだった。具体的なお題を細かく与えるよりも、ふんわりとした問いを置いておく方が、子どもたちは自分なりの解釈で世界を描き始める。彼女が掲げていた「0から1を考えるアイデアを生み出す考え方」というアート思考の仮説は、現場で確かな手応えに変わっていった。
一方で、保護者への説明、年齢の違う子どもへの対応、絵を描くのが苦手な子のケアなど、運営面での難しさも痛感する。だがその一つひとつが、後の志望理由書で語る「アート×教育」の解像度を上げてくれた。机上の理想ではなく、現場で擦り傷を負いながら磨いてきた仮説。それが、彼女の探究活動を独自のものにしていった。
教室の隅で子どもの絵を覗き込みながら、彼女は「アート思考が、今の時代にすごく大事だ」という確信を、一段ずつ強めていった。
同志社大学商学部AO入試への挑戦|独学で組み立てた受験戦略
高校3年生の夏、彼女は同志社大学商学部の総合型選抜(AO入試)に出願する。塾なし、予備校なし。身近にいた大人と、自分のノートと、ネットで集めたわずかな情報――それだけを武器に、文系女子が「独学AO」という荒野に踏み出していく。
志望理由書に「アート×教育」の探究をどう書いたか
志望理由書を書き始めるとき、彼女が向き合ったのは「アート×教育」というテーマをいかに大学側に伝わる言葉に翻訳するか、というハードな課題だった。
頭の中には、神戸市ワークキャンプ、こども園、子ども食堂、学童、絵画教室、イギリス留学、TOEFL――無数の経験が散らばっていた。そのすべてを書こうとすると、原稿は分厚くなる一方で、何を訴えたい志望理由書なのか焦点がぼやける。だから彼女はまず、「自分が大学で何を探究したいのか」という問いを核に据えた。
その答えはシンプルだった。アート思考を活かした子ども教育の研究。絵画教室で実際に見てきた、自由な問いに触れたときに子どもの目の色が変わる瞬間。あの体験を、感覚で終わらせず、社会科学やマーケティング、ビジネスの観点と接続したい。だからこそ商学部で学ぶ必要があるのだ、と彼女は自分の言葉で位置づけ直した。
「子どもの教育と、自分がもともと得意だったことを組み合わせた」
書き始めたドラフトは、決して一発で通るものではなかった。学校の先生にチェックをもらいながら、論理の飛躍、抽象的すぎる表現、エピソードの根拠不足を一つひとつ潰していく。「主語が大きすぎる」「ここはエピソードで支えるべき」――客観的な指摘を受け入れ、書き直しを重ねるなかで、原稿は少しずつ「彼女自身の言葉」と「大学に伝わる構造」を両立させたものへと変わっていった。
完成した志望理由書は、ボランティアと絵画教室の具体エピソードを土台に、アート思考と子ども教育の研究という探究テーマで結ぶ、骨太な一本のラインを持つものだった。
1ヶ月の面接対策と先生のフル活用
小論文と並ぶもう一つの大きな関門が、面接・プレゼンテーションだった。
ここで彼女が頼り切ったのが、学校の先生だった。受験日まで残り約1ヶ月のタイミングから、ほぼ毎日のように面接練習に付き合ってもらう。よく聞かれる質問を事前に洗い出し、想定問答の原稿を作成しては音読し、声に出して暗記まで持ち込んだ。先生からの突っ込みを受けて、論理が弱い部分や具体性が足りない部分は何度も書き直した。
「学校のリソースをフル活用してました。無料ですべて完結させてました」
塾を使わないという選択は、自分一人で全部やる、という意味ではなかった。むしろ逆だ。彼女は、学校の中にいる先生という最大級のリソースを、誰よりも丁寧に、誰よりも深く使い切ろうとしていた。お願いしてみると、先生たちは想像以上に時間を割いてくれる。1ヶ月後、面接当日。準備していない質問が飛んできても、普段からノートに整理してきたニュースや自分の問題意識から、自然に言葉が出てきた。
慶應SFC環境情報学部への挑戦|AO合格後に再燃した憧
同志社大学AO入試に合格し、ひと息つけたはずの冬。彼女の中で、もう一度大きな衝動が動き出す。慶應義塾大学環境情報学部――SFCへの憧れだった。関西で完結する予定だった進路図は、ここで大きく書き換えられる。
「カボチャを切るおばあさん」の小論文で掴んだ自信
慶應SFCに本気で意識を向けるきっかけになった出来事の一つが、ある小論文の問題だった。
提示されたのは4枚の絵。そのうち1枚を選び、物語を作るというユニークな問題形式だった。彼女が選んだのは「カボチャを切っているおばあさん」の絵。手元のリズム、台所の光、おばあさんが思い浮かべている誰か――頭の中で映像が立ち上がるように物語が動き出し、原稿はすんなり書き上がった。
「慶應の過去問はすごく楽しく解くことができて」
書き終わったあと、彼女は不思議な手応えを覚えていた。SFCが受験生に問うているのは、知識量ではなく、目の前の素材から自分なりの問いと物語を立ち上げる力。それは、絵画教室で子どもたちに渡してきた問いと、同じ性質のものだった。「これは自分が戦える土俵かもしれない」――そう感じた瞬間、関西で完結するはずだった進路は、関東の地図へと書き換わっていった。
「モチベーションというよりかは、普通に問題が楽しくて」
問題を解くのが楽しい、という素朴な感覚が、最大の推進力になっていた。
英語と小論文2科目で挑んだ慶應SFC一般入試
慶應SFC環境情報学部の一般入試は、英語と小論文の2科目方式。教科を絞った私立専願ルートを選んできた彼女にとっては、これ以上ないほど相性のいい設計だった。
英語については、TOEFL iBT 90点を目指して積み上げてきた学習経験が、そのまま土台として効いた。実際の対策は過去問を数回解いてフォーマットに慣れる程度で済み、長文・語彙・文法のいずれにおいても致命的な穴は無かった。むしろ重点的に時間を割いたのは、SFC独特の小論文だった。
問題は単なる読解と記述ではなく、「あなたならどう問題を捉えるか」を問う、思考のプロセスそのものを試すような形式が多い。彼女は過去問をネットで集め、YouTubeの解説動画を活用し、必要に応じて学校の先生に添削を依頼した。AIを使って論理構造を点検することもあった。
「無料ですべて完結させてました」
塾なし・独学を貫いて挑んだ慶應SFC環境情報学部の一般入試。蓋を開けてみれば、結果は合格だった。「アート×教育」の探究を抱え、関西から関東へ、もう一段大きな環境へ飛び込む選択を、彼女は自らの手で掴み取った。
合格を引き寄せた要因と、これから受験する高校生へのメッセージ
振り返ったとき、彼女のW合格はどこから生まれたのか。そして、これから総合型選抜に挑む高校生・保護者に伝えたいことは何か。最後に、本人の言葉から見えてくる「再現可能なヒント」を整理しておきたい。
合格を分けた3つの要因|原体験・行動量・情報整理力
合格要因を整理すると、大きく3つに分けられる。
1つ目は、原体験の深さだ。アートと子ども教育という関心は、ボランティアと絵画教室という現場経験で何度も検証された仮説であり、机上の言葉ではなかった。志望理由書・小論文・面接のすべてで、彼女が話す内容には常に「現場の手触り」が同居していた。
2つ目は、行動量だ。神戸市ワークキャンプ、子ども食堂、こども園、学童、絵画教室、イギリス留学、TOEFL、美術部、評定維持――どれか1つに絞ったわけではなく、関心の方向に向かって走り回り続けた高校3年間そのものが、彼女の人物像を立体的にしていた。
3つ目は、情報整理力だ。気になるニュースをノートにまとめる習慣、デザイン・アート系の情報を継続的に追う癖。準備外の質問にも自分の言葉で答えられたのは、「考える材料」を普段から自分の中に蓄積していたからだ。
特別な才能や、恵まれた環境ではない。むしろ、地方の私立高校で、塾も使わず、孤独と不安を抱えながら積み上げた要素ばかりだ。
独学合格者だからこそ伝えたい受験生へのメッセージ
最後に、彼女が受験生・保護者に向けて何度も語っていた言葉を紹介しておきたい。
「独学はそこまでおすすめできない」
これは、独学で同志社AOと慶應SFCのW合格を勝ち取った当人の発言だ。なぜか。理由は、独学が抱える「運の要素の大きさ」にある。学校に良い先生がいるかどうか、相談できる第三者が周囲にいるかどうか、ネットや書籍で正確な情報にたどり着けるかどうか。これらすべてが揃う高校生は、決して多くはない。彼女自身は結果として揃ってしまった側だが、「自分のやり方をそのまま勧めるのは無責任」という感覚を強く持っている。
「客観視が得意な人や、専門家に頼るのが確実だと思います」
その上で彼女が必ず付け加えるのが、「自分の興味と関心が明確であること」と、「実体験を積むこと」、そして「問題を解くこと自体が楽しいと思える状態を作ること」だった。
総合型選抜は、ただの受験対策ではなく、自分のこれまでとこれからを編み直す作業でもある。彼女のストーリーは、その編み直しが、地方の私立高校の美術部からでも始められるということを、静かに、しかし確かに教えてくれている。
