総合型選抜・AOの慶教ゼミナール

3歳で震災を体験した磐城高校生が、13年後に慶應SFC総合型選抜に合格するまで

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3歳で震災を体験した磐城高校生が、13年後に慶應SFC総合型選抜に合格するまで

「終わったな」

共通テストの自己採点を終えた夜、松崎才華さんはそう呟いた。情報科目の難化、数学ⅠAの予想外の難しさ。東北大学進学が当たり前の地元・福島で、国公立を目指して勉強してきた高校生にとって、その一言には3年間の重みがあった。

しかし松崎さんには、もう一つの選択肢があった。総合型選抜だ。

福島県立磐城高等学校在学中、松崎さんは3歳で体験した東日本大震災をテーマに探究活動を続けてきた。原発被災地域への現地調査、被災者へのインタビュー、学術論文の読破。「人口1万人が100人になり、また2,000人が戻ってきた街」という独自の視点で研究を深め、ビジネスコンテストでの優勝という実績も積み上げた。

その探究活動が、慶應義塾大学SFC(総合政策学部)の総合型選抜で評価された。地方公立高校・3年生スタート・共通テスト失敗という三重の逆境を抱えながら、松崎さんはなぜ合格できたのか。そのリアルな戦略と軌跡を、余すところなく伝える。

━━ この記事でわかること ━━

この記事でわかること
・3歳で東日本大震災を体験した福島県立磐城高校生が、慶應SFC総合型選抜に合格するまでのリアルなストーリー
・震災・原発をテーマにした探究活動を「人の流動」という独自視点に深化させた社会活動の作り方
・100枚近いパワーポイント書類の構成戦略と、一般入試と総合型選抜を並行した受験戦略の全体像
・3年生スタート・共通テスト失敗という逆境を乗り越えて慶應SFCに合格した戦略と面接の実態
こんな人におすすめ
・慶應SFCの総合型選抜を目指している高校生・保護者
・地方公立高校から総合型選抜に挑戦したいが、情報不足や周囲の反対に悩んでいる受験生
・震災・社会課題・地域問題などをテーマにした探究活動を受験に活かしたい人
・一般入試と総合型選抜の両立を検討していて、どちらを優先すべきか迷っている高校生
合格のポイント
▶ 震災体験を学術研究に昇華させた
3歳の原体験を出発点に、被災者インタビュー・論文読書・原発現地調査を重ね、「人の流動」という独自視点を確立。一次データと学術的アプローチを組み合わせた探究活動が慶應SFCに評価された。
▶ 挫折と逆境を「チャンスを増やす」発想に転換した
国公立信仰の地域・学校と両親の反対という逆境を、「受験機会を最大化する」という論理で乗り越えた。共通テスト失敗後も総合型選抜という選択肢を持っていたことが逆転合格の鍵になった。
▶ 「型を知る」ことで書類と面接を突破した
早稲田塾で総合型選抜の構造を習得し、100枚近いスライド書類を戦略的に構成。面接では「わざとらしさを排除した自然体」を貫き、その場での思考を大切にした姿勢が合格につながった。

合格者プロフィール

氏名松崎 才華(まつざき さいか)
出身高校福島県立磐城高等学校(公立・文系)
合格大学・学部慶應義塾大学 SFC(総合政策学部)
入試方式総合型選抜
英語資格英検 2級
最終評定平均4.0以上
部活バドミントン部
利用した
受験開始時期高校3年生から
併願総合型選抜 + 一般入試(横浜国立大学等)
主な活動震災・原発探究活動 / 被災者インタビュー / 原発現地調査 / ビジネスコンテスト優勝

福島・磐城高校という「原点」と東日本大震災との記憶

東北大学への進学を目指す生徒が主流を占める福島県立磐城高等学校。国公立信仰の強い地域性の中で、松崎さんは偏差値70台を維持しながらバドミントン部に所属し、一般入試対策を中心とした高校生活を送っていた。学校の授業は着実にこなし、放課後は部活に打ち込む——一見すると、地方進学校の「普通の優等生」に見えたかもしれない。しかし松崎さんの内側には、高校1年の探究活動の時間から熱を帯び続けるテーマがあった。東日本大震災だ。

震災が起きたのは、松崎さんがまだ3歳の頃だった。福島県浜通り地区、原発にほど近いその場所で、彼女は震度6強の揺れを体験した。家の中の物がすべて落下し、母親と弟の3人で必死に机の下へ逃げ込んだ。水道が止まり、給水車の前に長い列ができた日々。3歳という幼さながら、その記憶は驚くほど鮮明に残った。後に母親から「あのとき、あなたは冷静だったね」と言われたほどだ。

震災から13年が経過した今、松崎さんが感じるのは「忘れられていくこと」への危機感だった。高校の同世代は震災をほとんど知らない世代に近づきつつある。メディアの報道も少なくなった。「記憶は継承していくべき」という強い思いが、探究活動のテーマ選びを自然に決めた。社会課題研究の出発点は、松崎さん自身の3歳の記憶だったのだ。

「3歳の記憶」が13年後の研究テーマになるまで

「本を読まない」タイプだったと松崎さんは笑って振り返る。国語の授業で課題図書を読むのは当然としても、自分から本を手に取ることはほとんどなかった。しかし探究活動で震災をテーマに選んだとき、初めて「読みたい」と思える論文や書籍と出会った。「興味のあることだったら、できるかな」という感覚が、学術的アプローチへの扉を開いた。

震災の記憶継承という問題意識は、高校1年の探究活動の授業の中で少しずつ形を持ち始めた。被災者へのインタビューを重ね、論文や書籍で学術的な裏付けを積み上げた。「忘れられていくのが課題」という認識は、13年という時間の経過とともにますます切実な問いになっていった。この段階ではまだ総合型選抜の「そ」の字も頭になかったが、のちに慶應SFCを動かす探究活動の核心が、静かに育まれていた。

「人口1万人が100人になった街」を調べ続けた探究活動

高校1〜2年の探究活動の中で、松崎さんの研究はある数字と出会って大きく動き出す。原発被災地域における人口変動——かつて1万人が暮らしていた街が、避難指示により100人にまで減少し、その後の復興開発によって2,000人が戻ってきたという事実だった。単純な記憶継承の問題ではなく、「人はどう動くのか」「なぜ戻ってくるのか、戻れないのか」という問いが生まれた。この「人の流動」という視点が、松崎さんの研究テーマを独自のものへと昇華させた。

知識として理解するだけでは足りないと感じた松崎さんは、現地に足を運ぶことを決めた。車で1〜2時間かけて、母親とともに原発被災地域を実際に訪れた。現地調査は1度ではなく、複数回にわたって実施された。研究の核心に触れるたびに「もう一度行きたい」という衝動が松崎さんを現地へ向かわせた。母親もその都度同行し、娘の探究活動を黙ってサポートし続けた。

また、被災地域の状況を論文や書籍で多角的に分析する中で、「国内難民」という概念に着目するようになった。原発事故によって故郷を追われた人々を、国際的な難民問題と対比させながら捉え直すという視点は、高校生の探究活動としては異例のアプローチだった。「本を読まないタイプ」だった松崎さんが、専門的な学術書を手に取り、論文を読み解くようになったのは、まさにこのテーマに向き合い始めてからのことだ。

原発被災地で見た「近未来的な街」の現実

松崎さんが現地調査で感じた最初の衝撃は、街の「異様な新しさ」だった。国からの復興資金によって急速に整備されたインフラ、真新しい建物、整然とした区画。かつて多くの人が暮らし、震災と原発事故で人の消えた土地に、まるで設計図から作り直したような街が生まれていた。松崎さんはその光景を目にしたとき、こう感じた。

「近未来的な街だなと思った」

美しくも不思議な光景の裏側に、帰還できない人々の存在がある。「国内難民」として故郷を離れ、今も戻れない人たちがいる。復興は進んでいるように見えても、そこに戻ってきた2,000人は、かつての1万人とは異なる人々であることも多い。松崎さんの探究活動は、その複雑な現実を「人の流動」という独自のフレームで捉え、データと一次調査を組み合わせた実証的な研究へと発展した。この研究の独自性と行動力こそが、慶應SFCの総合型選抜で高く評価された要因の一つだった。

国公立信仰の地方で「総合型選抜」を選んだ理由と最初の壁

松崎さんが総合型選抜という言葉を初めて知ったのは、高校2年と3年の間のことだった。それまでの松崎さんにとって「大学受験」とは一般入試のことであり、学校の授業と自学で偏差値を上げ、共通テストと二次試験に臨むことが唯一のルートだと思い込んでいた。東北大学を目指す生徒が多い磐城高校で、総合型選抜の情報は「ベールに包まれている」という印象だったと振り返る。

初めて総合型選抜の書類を見たとき、松崎さんは困惑した。書くべき項目の多さ、活動報告書の量、提出物の種類。一般入試とはまるで異なる、未知の入試形式だった。しかしそれ以上に高いハードルがあった。周囲の反対だ。学校の先生からは「一般に絞った方がいい」と言われた。両親も最初は総合型選抜に懐疑的だった。地方の国公立信仰が根強い環境で、私立大学への総合型選抜受験に踏み切ることは、孤独な決断だった。

それでも松崎さんが総合型選抜に踏み切った理由は、明確だった。「受験のチャンスを増やす」という発想だ。一般入試だけでは、何らかのアクシデントで不合格になるリスクがある。総合型選抜という選択肢を加えることで、合格の可能性を広げられる。両親を説得したのも、この論理だった。説得には時間がかかったが、最終的には「チャンスを増やすなら」と了承を得た。

「本当にみんなやってるんだろうな」という孤独な戦い

総合型選抜の対策を始めてから、松崎さんを悩ませたのは「孤独感」だった。学校は一般入試対策のみ。総合型選抜のサポートは皆無に近かった。帰宅後に総合型選抜の書類作成や研究まとめに取り組みながら、ふとこんな不安が頭をよぎった。

「本当にみんなやってるんだろうな」

全国の総合型選抜受験生たちが、もっと充実した環境で対策を進めているのではないか。自分一人で本当に戦えるのか——そういった焦りと不安の中で、早稲田塾への入塾を決断した。「独学だったら無理でした」と松崎さんは断言する。塾で初めて全国の受験生と同じ土俵に立ち、複数の教師から客観的な評価を受け、合格者のデータや書類の「型」を学んだ。型を知ることが、総合型選抜突破の第一歩だった。

ビジネスコンテスト優勝と100枚スライドで固めた受験書類の総合型選抜戦略

震災・原発の探究活動と並行して、松崎さんは高校時代にビジネスコンテストへの挑戦も積み重ねていた。企業系イベントへの積極参加、OIC(起業オフィス)での人脈形成、そして大阪での町おこしビジネスコンテスト——淀川地域の開発案を引っさげて、高校生・大学生の混合チームで挑んだこの大会で、松崎さんは優勝を果たした。震災研究という学術的な探究活動に加え、ビジネスという実践的なフィールドでの実績が積み上がった瞬間だった。

この実績は慶應SFC総合型選抜の認定資料として活用された。書類の構成は、探究活動(震災・人の流動研究)をメインに3〜4枚、ビジネスコンテスト優勝を含む他活動を2点・各10枚で補完するという戦略だった。最終的にパワーポイントのスライドは100枚近くに達した。それまでパワーポイントをほとんど使ったことのなかった松崎さんが、早稲田塾のサポートを受けながら一から習得し、書類という「作品」を仕上げていった。

書類作成で松崎さんが意識したのは、「活動の一貫性」だった。震災体験という原点から、人の流動という研究テーマへ、そして復興のあり方への問題意識へ——ストーリーとして読める書類が、審査する教授陣の目に留まる。ビジネスコンテスト優勝という一見異質な実績も、「社会課題の解決に向けて実践的にアプローチする姿勢」として位置づけることで、探究活動との一貫性を示すことができた。

地方高校生が東京の人脈とつながった理由

福島という地方にいながら、松崎さんは東京の人脈とのつながりを積極的に作ってきた。きっかけはOIC(起業オフィス)との出会いだった。地元の企業関係者を通じてオフィスを借用する機会を得たことで、東京の企業関係者や社会人との交流が始まった。「自分から動くと、人とつながれる」という気づきが、高校時代の東京通いへとつながった。

地方の高校生が情報格差を超えるには、待っていてはいけない——松崎さんはその事実を体で学んだ。ビジネスコンテストへの挑戦も、東京への頻繁な移動も、すべて「自分から動く」という姿勢から生まれた行動だった。SFC入学後に松崎さんが感じたのは、「地方の子って、結構面白い子が多い」ということだった。地方出身者の独自性は、都市部では得られない現場経験と問題意識から生まれる。それはそのまま、総合型選抜での強みになる。

一般入試×総合型選抜の並行戦略と「共通テスト失敗」からの逆転

松崎さんの受験戦略は、総合型選抜(慶應SFC)と一般入試(横浜国立大学等)の完全並行だった。学校では一般入試対策のみ、帰宅後と塾で総合型選抜の対策を行うという分業体制を高校3年間の集大成として整えた。どちらかに絞るのではなく、両方の可能性を最大化するという戦略は、「チャンスを増やす」という松崎さんの受験哲学そのものだった。偏差値70台を維持しながら、一般入試の準備も怠らなかった。

しかし本番の共通テストは、想定外の難化に見舞われた。情報科目は例年より格段に難しく、数学ⅠAも平均点が大きく下がる難問ぞろいだった。自己採点を終えた夜、松崎さんは静かにつぶやいた。

「終わったな」

国公立大学への進学を断念する——その決断を、一晩で受け入れなければならなかった。地元・福島で「大学は国公立へ」という環境の中で育ち、3年間準備してきた一つの道が閉じた瞬間だった。しかし松崎さんには、もう一つの道が開いていた。総合型選抜での慶應SFC合格という可能性だ。絶望は長くは続かなかった。

「面接30分の予定が10分で終わった」本番の話

慶應SFCの総合型選抜面接は、予定では30分の持ち時間が設けられていた。しかし松崎さんの面接は、その3分の1の10分で終了した。しかも、波乱含みのスタートだった——面接官の教授が、前の受験生と松崎さんを一瞬間違えるというハプニングから始まったのだ。

緊張の中で飛んできた質問は、こうだった。「復興とは何か」。震災研究を続けてきた松崎さんにとって、まっすぐな問いのようで、実は非常に深い問いだった。準備してきた答えではなく、その場で思考しながら言葉を選んで答えた。面接対策で「わざとらしさはよくない」と決めていた松崎さんは、台本を読み上げるような受け答えを徹底的に排除した。自然体で、自分の言葉で、研究への想いを伝えた。

面接の最後には逆質問の機会があり、松崎さんは入学後の研究について教授に問いを投げかけた。10分という短い時間だったが、探究活動の本質と自分らしさは十分に伝わったと感じたという。「自分らしさを出すのが一番大事」という信念が、本番で生きた瞬間だった。

「型を知れば受かる」書類作成で学んだこと

早稲田塾で松崎さんが発見したのは、総合型選抜には「型がある」という事実だった。どの順番で活動を書くか、どこに研究の独自性を置くか、認定資料に何をどう盛り込むか——合格者のデータから導かれた構造的なアプローチを学ぶことで、書類のクオリティは飛躍的に上がった。

「型を知れば、正直受かっちゃう」

もちろん「型」に当てはめるだけでは不十分だ。その型を満たす中身の探究活動が必要だし、面接での思考力と言語化能力も問われる。しかし逆に言えば、どんなに素晴らしい活動をしていても「型」を知らなければ書類で落とされる可能性がある。塾に入ることの最大の価値は、この型と戦略を最短距離で習得できることにある。

慶應SFCが評価した「独自テーマ」と「行動力」、
そして地方受験生へのメッセージ

松崎さんの合格を支えた最大の武器は、「人の流動」という独自のテーマと、それを裏付けるフィールドワークの実行力だった。震災研究をする高校生は少なくない。しかし「国内難民」という概念と結びつけ、人口変動データと現地一次調査を組み合わせた独自のフレームで論じた高校生は、ほとんどいないはずだ。研究の独自性が、書類の段階から際立っていた。

加えて評価されたのは「行動力」だ。母親を伴って原発被災地に複数回足を運び、被災者に直接インタビューし、大阪のビジネスコンテストに飛び込み、東京の人脈を高校時代から積み上げた。すべての行動が、研究への誠実な向き合い方から生まれていた。「始めてみることが重要」という言葉は、松崎さん自身が実践してきた哲学だ。

地方公立高校から慶應SFCへ。3年生スタート、共通テスト失敗という条件を抱えてもなお合格できたのは、探究活動の深さと戦略的な受験設計があったからだ。松崎さんは地方の受験生に向けてこう語る。「地方の子って、結構面白い子が多い」。都市部では得られない現場感覚と問題意識——それこそが、総合型選抜で最も強く評価される武器になる。総合型選抜を検討しているすべての高校生に、松崎さんの軌跡はその可能性を示している。

上林山 大吉

塾長

京都大学 経済学部 経済経営学科卒
東大寺学園高等学校卒。
総合型選抜(AO入試)にて京都大学経済学部に現役合格。
高校時代は生徒会長として学校運営に携わる。
知性を競う全国放送のクイズ番組「Qさま!!」出演。

総合型選抜は、単なる「AO 入試」ではなく、あなたの人生経験すべてが評価される、最も公平な入試形式です。逆転合格の扉は、あなたにも開かれています。

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