
「模試はD判定」「英語以外の教科は30点程度」「通信制高校出身」「準備期間は半年未満」
熊田朱里さんのプロフィールを並べると、難関私大の合格とはほど遠い条件ばかりが並ぶように見える。中学時代は人間関係の変化から不登校になり、学習室での別室登校を3年間続けた。高校は通信制を選んだ。最初の志望は英語に特化した専門学校で、立教大学など想定の外にあった。
それでも熊田さんは、立教大学経営学部国際経営学科に総合型選抜で合格した。
転機となったのは、ゲームの英語実況動画を見るという「趣味」から始まった英語への純粋な好奇心だった。その好きが洋楽へ、ネイティブ英会話へ、そしてカナダ・バンクーバーへの3ヶ月留学へとつながり、英検準1級・CSEスコア2300点超という具体的な実績を生み出した。立教大学の総合型選抜を知ったのは高校3年生になってから。「夢見るのは無料ですから」という言葉とともに専願で挑み、塾なし・半年未満という短期間で志望理由書2000文字と小論文を仕上げ、合格を掴んだ。
この記事では、中学不登校から立教大学合格に至るまでの熊田さんのストーリーを丁寧に追いながら、総合型選抜における「好きを武器にする」ことの本質を明らかにする。通信制高校に通っている高校生、模試の結果に自信が持てない受験生、留学経験を受験に活かしたい高校生とその保護者にこそ、読んでほしい記事だ。
この記事でわかること
- 中学不登校・通信制高校出身・模試D判定という逆境を抱えた屋久島おおぞら高等学校生が、立教大学経営学部の総合型選抜に合格するまでのリアルなストーリー
- ゲーム実況の英語YouTube視聴から始まり、カナダ3ヶ月留学・英検準1級取得へとつながった留学経験を総合型選抜の核心に据えた活動の作り方
- 塾なし・半年未満で志望理由書2000文字を手書き完成させ、小論文「生産性とは何か」を突破した具体的な受験戦略と対策の全記録
- 「人の縁を最大限に活かす」サポート体制の構築から、立教大学に評価された合格要因の分析まで
こんな人におすすめ
- 立教大学の総合型選抜を目指している、または検討している高校生・保護者
- 通信制高校・不登校経験・模試D判定でも難関私大の総合型選抜に合格できるか不安な受験生
- カナダ留学・英語資格など留学経験を総合型選抜の志望理由書に活かしたい高校生
- 塾なし・短期間で志望理由書と小論文の対策を仕上げる方法を知りたい受験生
合格のポイント
「好き」から始めた英語学習を留学経験で本物の実績に変えた
ゲーム実況の英語動画視聴・洋楽という自然な英語への関心を、カナダ3ヶ月留学と英検準1級取得という具体的な成果につなげた。「やらされた英語」ではなく「好きで続けた英語」という一貫性が、志望理由書と面接を貫く軸になった。
不登校経験を隠さず「困難を乗り越えた人物像」として言語化した
中学時代の不登校という経験をネガティブな要素として隠すのではなく、通信制高校での自律的な学びへの転換点として志望理由書に位置づけた。自分の経験と大学の学びをつなぐ「私はこれをやってきたから、ここに行きたい」という構造が立教大学の評価を引き出した。
塾なしでも「手を借りることを惜しまない」サポート活用で突破した
知り合いの小論文指導者・学校の担当教師・親という三方向のサポートを同時に活用し、短期間で完成度を高めた。「一人だったら突破できなかった」という経験から、使える環境は最大限に使い切ることが総合型選抜突破の鍵だと体得した。
英語への関心から国際経営学科への志望まで一本の軸を通した
英語好き→留学→英検準1級→英語で経営を学べる立教大学国際経営学科という流れに、クライアント企業との実践的プロジェクトへの関心が加わり、「なぜこの大学でなければならないか」の説得力を生み出した。
ー合格者プロフィールー
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 熊田 朱里(くまた あかり) |
| 合格大学・学部 | 立教大学 経営学部 国際経営学科 |
| 入試方式 | 総合型選抜(専願) |
| 出身高校 | 屋久島おおぞら高等学校(通信制・千葉キャンパス・私立) |
| 出身校の文理区分 | 文系 |
| 部活 | 未所属 |
| 総合型選抜開始時期 | 受験日から半年未満 |
| 併願 | 総合型選抜のみ |
| 塾 | なし |
| 英検取得状況 | 英検準1級・CSEスコア2300点超 |
| 主な活動 | カナダ・バンクーバー3ヶ月留学(高校1〜2年次)、ネイティブ英会話(ほぼマンツーマン)、簿記クラス、英語YouTube視聴・洋楽学習 |
| 受験対策 | 志望理由書2000文字(手書き)、小論文過去問10回、学校教師・知人・親による複数回添削 |
中学不登校・通信制高校への進学
――「大学受験がゴールじゃない」学校との出会い

小学校時代の熊田さんは、外でワイワイ遊ぶ活発なタイプの子どもだった。友達と走り回り、笑い声を上げながら過ごすその姿は、現在の明るい性格の原型そのものだった。しかし中学校に進んだとき、その当たり前だった日常が静かに崩れていく。人間関係の変化が、少しずつ学校を遠い場所に変えていった。「人の流れが変わってきた」——その変化は、目に見えないほど緩やかだったが、確実に熊田さんを教室から遠ざけていった。一度仲良くしていたグループの空気が変わり、どこにいても居場所がないような感覚が続いた。友達関係に傷ついた経験は、学校という場所そのものを「行きたくない場所」に変えていった。
一度行けなくなると、次第に足が重くなる。「行けない期間が長くなると、どんどん行けなくなっちゃう」という言葉が示すように、不登校は悪循環の連鎖だった。通常の教室には入れない。それでも熊田さんは、学習室という別室登校の場所に通い続けた。テストだけは受けた。完全に諦めるのではなく、自分にできる形で学校とつながろうとする意志が、その行動の底にあった。この状態が、中学3年生が終わるまで続いた。
高校進学の時期が近づいたとき、熊田さんには一つの考えがあった。「通信制なら行けるかもしれない」。全日制の教室に縛られない環境なら、自分のペースで学べるかもしれない——その判断から選んだのが、屋久島おおぞら高等学校だった。本校は屋久島にあり、全国にキャンパスを展開するこの学校の千葉キャンパスは、柏にある。週1〜2回から通い始められる自由な通学スタイル、1日3時間で終わる授業、午後の自由時間に選べる多様な選択授業——その環境は、熊田さんにとって初めて「学校が安心できる場所」に感じられるものだった。年に一度、屋久島の本校で行われる4泊5日の合宿も必須プログラムとして組み込まれており、全国のキャンパスの仲間と出会う機会も生まれた。
「行けない期間が長くなると、どんどん行けなくなっちゃう」
――中学3年間の不登校と別室登校の日々
おおぞら高等学校で熊田さんが出会ったのは、「大学受験がゴールじゃない」「なりたい大人になる」という学校の理念だった。偏差値を上げることではなく、好きなことを極めることを肯定してくれる場所。偏差値を上げることではなく、好きなことを極めることを肯定してくれる場所。ネイティブ英会話(ほぼマンツーマン)、ドローンクラス、体操クラス、簿記クラスといった多様な選択授業が並び、生徒それぞれが自分の興味に従って時間を使える環境が整っていた。周りの友人の多くは専門学校進学を考えていた。大学進学者はほとんどいない、総合型選抜の情報も少ない環境の中で、熊田さんは自分なりの道を模索し始める。この「自由な時間」こそが、後の英語学習と留学経験の土台になっていくとは、このときまだ誰も知らなかった。通信制高校という選択は、単なる「逃げ場」ではなく、自分らしい学びを見つけるための積極的な選択だった。
英語ゲーム実況・洋楽・ネイティブ英会話
――好きから始まった留学経験への道


高校1年生のある日、熊田さんはふと英語のYouTubeを見始めた。きっかけは単純だった。ゲームが好きで、英語でゲーム実況をしている動画が目に入ったのだ。字幕なしで見ていると、少しずつ言葉の意味が分かってくる感覚があった。「もっと分かりたい」という気持ちが、次の動画へ、また次の動画へと手を伸ばさせた。気づけば洋楽も聴くようになっていた。好きなアーティストの歌詞の意味を調べ、耳で音として覚えた英語が、自然に口から出るようになっていった。誰かに言われたわけでも、試験のために始めたわけでもない。ただ「面白い」「もっと知りたい」という純粋な気持ちだけが、英語への扉を開き続けた。
通信制高校の午後の自由時間は、この英語学習をさらに加速させた。ネイティブ英会話のクラスはほぼマンツーマンで、外国人の先生と直接話す環境が整っていた。最初はうまく話せなくても、繰り返し通ううちに言葉が出てくるようになった。簿記クラスにも参加し、数字や経営の基礎も身につけていった。ドローンクラスや体操クラスにも顔を出しながら、自分の興味のアンテナを広げていった。自分で選んだことだから、嫌にならない。続けられる。この感覚が、英語を「得意科目」から「自分を表現できる言語」へと変えていった。「いろんなことにちょっとやってみようかなみたいな感じでチャレンジしていけば、もしかしたら知らなかったけど、これ好きだったのかもしれん」——熊田さんがのちに語るこの言葉は、高校時代の自分の学び方そのものを振り返ったものだった。海外への興味も自然に膨らんでいった。将来は海外を飛び回りたい、ファーストクラスに乗ってみたい——そんな等身大の夢が、次の大きな挑戦へと熊田さんを動かしていく。
バンクーバー3ヶ月ホームステイ
――「英語力が一気に伸びた」カナダ留学の実態


高校1年生が終わる頃、熊田さんは留学の機会を掴んだ。学校の提携エージェントを通じてカナダ留学のパッケージを申し込み、高校1年と2年の間の2月から5月、バンクーバーでのホームステイ生活が始まった。当初は5ヶ月のプランだったが、「長いと感じて」3ヶ月に短縮した。自分のペースで判断できる柔軟さも、この留学での学びの一つだった。ホームステイ先は留学生の受け入れに慣れた家庭で、トラブルもなく、毎日の生活の中で英語を使い続ける環境が整っていた。日本語を使わない生活の中で、英語は「勉強するもの」から「生きるための道具」に変わった。3ヶ月の留学を終えた熊田さんには、英語力が「一気に伸びた」という実感があった。この留学経験と継続的な英語学習の積み重ねが、高校3年生の時点で英検準1級・CSEスコア2300点超という、立教大学総合型選抜の出願要件をクリアする実績につながっていく。
模試D判定・専門学校志望から立教大学へ
――総合型選抜との出会いと「夢見るのは無料」の決
高校3年生になった熊田さんの最初の志望校は、神田外語学院だった。英語に特化した専門学校として知られるこの学校を見学し、「良いと思った」という感触があった。英語を使って仕事をしたいという夢と、自分の英語力を活かせる環境——その組み合わせが、専門学校という選択肢を自然なものに見せていた。一方で、一般入試で大学を目指すことも頭にあった。上智大学が第一志望として浮かんでいたこともある。「夢見るだけ無料」という言葉とともに、届かないかもしれない志望校を設定してみることもあった。しかし模試を5〜6回受けてみると、現実が数字となって突きつけられた。偏差値はD判定。英語以外の教科は30点程度。共通テストを受験したときも、英語は高得点だったが他の教科は全滅状態だった。「絶対に届いてない」という自己評価は、嘘をつかなかった。
その頃、立教大学の総合型選抜という選択肢を知った。調べるうちに、ある授業の情報が熊田さんの目に留まった。クライアント企業と連携し、チームで実際のプランを提案するリーダーシップ授業の存在だった。「面白そうだな」という直感は、「英語を使って実践的に学びたい」というずっと心にあった思いと一致していた。オープンキャンパスに参加し、模擬授業を受けた。英語で経営を学び、企業に実際の提案をする——それは、座学だけの学習とは全く違う世界だった。「立教がいけるってことで、第一志望が立教になって」。この瞬間、熊田さんの受験の軸が大きく動いた。
父は「立教これいけねえ」と言った。母は「いけるんじゃない」と返した。その会話の末に家族は「じゃあチャレンジしてみよう」という結論を出した。弟は「総合型選抜は無理だ」と言った。それでも熊田さんは揺らがなかった。「夢見るのは無料ですから」——立教大学総合型選抜は専願制で、合格すれば入学が前提になる。落ちた場合は一般入試で他大学を受験するというリスクを承知の上で、「立教行けるなら一点やってみよう」という気持ちで出願を決めた。周りの友人のほとんどが専門学校進学を考えている中で、難関私大の総合型選抜に一人で挑む決断は、簡単なものではなかった。しかしその決断こそが、熊田さんの受験を大きく動かしていく。
塾なし・半年未満で仕上げた志望理由書2000文字と小論文対策の全記録
出願を決めてから試験まで、熊田さんに残された時間は半年に満たなかった。塾には通っていない。学力的な武器も英語以外には乏しい。それでも熊田さんは、手を止めなかった。まず取り組んだのは志望理由書の作成だった。約2000文字を手書きで仕上げる一次審査の書類は、これまでの自分を全部引っ張り出すような作業だった。「自分は何をしてきたんだろう」と過去を振り返ることから始め、カナダ留学、英語学習、通信制高校での多様な学び——一つひとつの経験を言葉にしていく中で、自分の中に一本の軸が浮かび上がってきた。英語が好きで、実践的な学びを求めてきた自分と、英語で経営を学べる立教大学国際経営学科の教育内容がつながる瞬間だった。
小論文対策では、過去問を10回程度繰り返し解いた。知り合いから小論文指導を受ける機会を得た。「人の縁があって」個人的に教えてもらえたその指導で、熊田さんは「結論から始まって、理由、例、結論」というシンプルな構成の型を習得した。文体は「である調」で統一することも徹底した。型を覚えることで、どんなテーマが出ても一定の答案を組み立てられる基盤が生まれた。「一人だったら突破できなかった」——その言葉が、この出会いの重さを伝えている。学校の小論文担当の先生にも最終添削を依頼した。親にも志望理由書を見せてフィードバックをもらった。使えるサポートをすべて動員する姿勢が、短期間での完成度を支えていた。
「自分は何をしてきたんだろう」
――漢字が苦手な私が2000文字の志望理由書を書き上げるまで
「文書くのはあんまり好きではなかった」。それが熊田さんの正直な気持ちだった。漢字も苦手で、修正テープを手放せない状態で原稿用紙と向き合った。何度も書き直しながら、「これでいいのかな?って思いながら書いた」という不安を抱えたまま、それでも手を動かし続けた。完成した志望理由書の骨格は、シンプルな一文に集約されていた。「私はこの大学のこのポイントが好きで、私も今までこれをやってきたから、これはつながっている。だから私はここに行きたい」。自分の経験と大学の学びを直接結びつけるこの構造が、志望理由書の説得力を生み出した。親にも見せて添削してもらった。学校の小論文担当の先生にも最終的な確認を依頼した。「何か手があるんだったら、それはどんどん使っちゃって、最大限に使っちゃっていい」という熊田さんの言葉は、総合型選抜対策の本質を突いている。一人で抱え込まず、使える環境をすべて使い切ることが、塾なし・短期間という制約の中で完成度を高める唯一の方法だった。
「生産性とは何か」小論文を「一人では突破できなかった」対策法で乗り越えた
二次審査の当日、90分の小論文で出題されたテーマは「生産性とは何か」「人間の生産性は測定できるのか」だった。熊田さんが導いた結論は、独自の視点から生まれたものだった。「数字がゼロでも人間は生きているし動いているから何かしらの生産性はある」——人間の価値を数値で測ることへの疑問を、自分の言葉で論じた。知り合いから習得した「結論→理由→例→結論」の型を軸に、「である調」で文体を統一し、90分間書き続けた。面接は小論文直後という疲れた状態での実施だったが、「もうやれることをやるしかない」という気持ちで臨んだ。
立教大学に評価された「3つの軸」
――逆転合格を引き寄せた要因分析
熊田さんの合格を分析すると、立教大学が評価したポイントは三つの軸に整理できる。
一つ目は「活動の継続性と一貫性」だ。ゲーム実況の英語YouTubeから始まった英語への好奇心が、洋楽、英会話、カナダ3ヶ月留学へと自然に深まり、英検準1級・CSEスコア2300点超という具体的な成果につながった。「やらされた英語学習」ではなく「好きだから続けた結果」という流れは、書類にも面接にも説得力を持たせた。通信制高校の自由な時間の中でネイティブ英会話に通い、簿記も学んだという多様な自主的学習の姿勢も、「自分で学びを作れる人物」という印象を審査員に与えた。英語への関心が留学経験を生み、留学経験が国際経営学科への志望を確かなものにするという一本の軸が、熊田さんのストーリー全体を貫いていた。
二つ目は「思考の独自性」だ。小論文で問われた「人間の生産性は測定できるのか」という問いに対して、「数字がゼロでも人間は生きているし動いているから何かしらの生産性はある」という人間の価値を数値で割り切れないとする主張を展開した。偏差値や模試の数字が低くても、自分なりの視点で問いに向き合う力があることを証明した答案だった。「型」を習得した上で、その型の中に自分だけの考えを入れた小論文は、審査員の目に独自性として映ったはずだ。
三つ目は「大学との適合性の明確さ」だ。英語で経営を学び、クライアント企業への実際の提案をチームで行う授業——立教大学国際経営学科の具体的な学びのスタイルと、「実践的に学びたい」という熊田さんの志向は、志望理由書の中で明確に結びついていた。「私はこの大学のこのポイントが好きで、私も今までこれをやってきたから、これはつながっている」という構造は、単なる熱意ではなく根拠のある志望動機として機能した。模試D判定・英語以外30点台・塾なし・半年未満という条件をすべて上回る説得力を、この三軸が生み出していた。
「大学合格はゴールじゃない」
――立教入学後の実践と熊田さんからのメッセージ

立教大学経営学部国際経営学科に入学した熊田さんを待っていたのは、「想像以上に忙しかった」大学生活だった。春学期に始まったリーダーシップ授業では、クライアント企業としてビームスが登場した。4人チームで「ハッピーな新店舗」をテーマに提案を練り上げる3ヶ月のプロジェクトは、英語でのレポート作成、夜からのZoomミーティング、複数回のプレゼンテーションと課題が連続した。「ビームスのアパート」や「性格診断でベストマッチした店員と語り合える場所」など、アイデアを出し合いながらチームで一つの答えを作り上げていく体験は、受験対策の中では得られなかったものだった。「一回休んじゃうとついていけない」という緊張感の中で、受験の頃には存在しなかった「チームで動く実践的な学び」を体で覚えていった。8月にはオーストラリア・ゴールドコーストでの3週間留学も控えている。めっちゃ高級なスポーツカーに乗って、アメリカで——そんな等身大の夢も、海外を飛び回る仕事も、ファーストクラスも、着実に現実に近づいていた。
「絶対に今の自分が通った学校じゃないと、ここまで来れてない」。熊田さんがこう言うとき、その言葉は通信制高校での自由な時間が英語への好奇心を育て、留学が英語力に変わり、その実績が総合型選抜の扉を開いたという一連のつながりを指している。不登校という経験も、通信制高校という選択も、模試D判定という現実も——すべてが「今の自分」を形作っていた。「大学合格はゴールじゃない」という言葉は、入学後の忙しい日々の中でより深く理解できるようになったという。「受験で合格するまでがゴールじゃなくて、まさにその合格した後、未来の自分が見えやすくなる」。総合型選抜はその「今の自分」を丸ごと持ち込める入試だ。「自分の個性と大学があってるのかがはっきり分かる」という言葉が示すように、学力の数字だけでは測れない自分と大学の一致を問う入試だからこそ、熊田さんにとって唯一の道だった。模試がD判定でも、塾に通っていなくても、通信制高校出身でも。「夢見るのは無料ですから」——その言葉で一歩を踏み出したすべての受験生に、熊田さんのストーリーは届くはずだ。
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塾長
京都大学 経済学部 経済経営学科卒
東大寺学園高等学校卒。
総合型選抜(AO入試)にて京都大学経済学部に現役合格。
高校時代は生徒会長として学校運営に携わる。
知性を競う全国放送のクイズ番組「Qさま!!」出演。
総合型選抜は、単なる「AO 入試」ではなく、あなたの人生経験すべてが評価される、最も公平な入試形式です。逆転合格の扉は、あなたにも開かれています。
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